あした午後 そしてきょう

あした震災一年、いろいろな追悼行事が全国、そして世界でおこなわれます。
もうすでにあったものでは、パリのノートルダム寺院で、指揮者の佐渡氏が兵庫県の小中高校生の弦楽団を指揮してフランスからの支援の感謝も込めて、犠牲者追悼の演奏会があったとのことです。パリ在住日本人有志の働き掛けに、同寺院側が快諾して実現したとのことです(東京新聞)。
東京の地下鉄は震災のあった時間に合わせて電車をすべて止めて、乗客達に黙祷をしてもらうとのことです。
日本中すべての場所、職場、学校、などなどで黙祷が行われます。世界各地でも行われるでしょう。
一瞬にして2万人近くの人々が震災・津波にのまれて命を失ったのでした。太平洋での戦争が終わってから、最多の人々の命がうしなわれた災害でした。わたくしたちはどのような教訓をこの大震災からえるべきなのか、津波のみならず、原発の爆発による放射能のまきちらしも含めるとあまりにも災害の規模が大きく、十分に咀嚼できません。まだまだ数年の時間が客観的にみるために必要のように思えます。

そして、きょう日本が米国と行った戦争の末期、東京大空襲から67年がたちました。
犠牲者を弔う法要が東京都墨田区の都慰霊堂で営まれたとのことです。約10万人の人々が空襲により直接もしくは逃げ場を失って命を落としました。虐殺という表現をつかうのが許されるのなら、大虐殺でした。南京大虐殺があったのなら、それより遙かに多数の無辜の東京の人々が殺されたのでした。わたくしが、東京から栃木に連れられて、疎開したのは、この大空襲の前ではないかと思うのですが、もう聞いても教えてくれそうな人がいません。平和の希求のために、日本人にとって忘れてはいけない日の一つです。

読売新聞では、東京大空襲で母を亡くした江東区の太田久江さん(86)は、「東日本大震災で家族を亡くした人も同じ思いだと考えるとつらい。この時期に忘れてはいけないことが、また一つ増えた」と涙をぬぐっていた、とありました。日本人にとって二日間連続の、忘れてはいけない日となりました。

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