シーミーについての感想

きょうはシーミーでして、沖縄の人たちがお墓そうじをしてそのあと関係親族で一緒にお墓でいろいろ食べて、先祖さんを供養するのです。清明祭とかいてシーミー中国の先祖崇拝の信仰が沖縄では今でも強固に残っています。ただ、実際に始まったの18世紀の頃とありますし、宮古や先島ではやらないとまたヤンバルのあたりもやらないとも物の本に書いてありますので、そう沖縄では普遍的でもなくまた古いものでもありません。
でもここ本島ではシーミーに参加すれば沖縄人、というか沖縄人の一部属性はもつようになったとみなされるので、またこれを準備する人たちは大変ななので重要行事です。
もちろんよそもんのわたくしには何も関係ありません。おはかに沢山人があつまっているので、ああきょうはシーミーかと思うだけです。
時期的には万物がすがすがしいし、またこのような生命力の溢れる時期に先祖を崇拝するお祭りをするのはいいに違いありません。本土の春のお彼岸のお墓参りと似ています。

ただややこしいのは、家の問題です。沖縄では、仏壇持ちとかいう表現があるようで、長男の嫁になると仏壇持ちの嫁ということでなかなかの重荷のようです。詳しいことは知りませんが、想像はつきます。中国も家の問題は今も先鋭な問題ですが女性は元の家の名前を維持しますが、沖縄は名前は嫁ぎ先になり、そこで奉仕をするのです。しかし夫が死ねば全権は妻、つまり嫁さんが掌握するのですから、強大なおばあさんが出来るわけです。しかしそこにたどり着くには何十回ものシーミーをくぐり抜ける必要があります。
いまの沖縄そのあたり変換期だし家の概念はどんどん変わるし、また夫は割合早くメタボや脳梗塞で寝たきりや死んでしまって、そのあと40年50年も生きて一家を仕切るおばあがかなりの数沖縄ではいるわけですから、いろいろ社会、家族のひずみがあるにちがいありません。でもおもてにはあまりでないようです。でも想像はつきます。
そういうわけでシーミー祭り、じっと祖母、その夫(生きているのなら)、長男、その妻をじっと観察しているとその家のことがいろいろ分かるはずです。この時期、沖縄の家族もみな一軒一軒違うでしょうから、先祖崇拝は同じとはいえ、一家の成り立ちは大きな多様性があるのだろうと想像します。沖縄本島がなにか非常に細分化された社会という印象はこのシーミーあたりにあるのかもしれません。それに対して、宮古出身のダイナミックな出世(例国民新党下地議員)をみるとシーミー祭り無し(と言われる)の社会のより大きな政治力を感じます。

沖縄本島ではけっこう重要なできごとで、親族があつまっていろいろはなしをするのですから、明確には見えない形で伝統社会の存続性にかかわっているのでしょう。
本土人のつまらない感想です。

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