家でのさくら、不死鳥の日本

家の中でもさくらを楽しんでいます。読者におすそわけを。

百万遍にきています。沖縄知的クラスターのことでKさんと色々めんみつな相談をしました。ともあれ面白いことがいろいろ議論できました。
それと編集長のしごともすこし、いま一段落の時間。

最近の原発の再稼働問題の記事を読むと、頭をよぎるのはなぜ日本は米国と戦争を始めてしまったのか、ということです。
わたくしまだまだ若い頃、二十歳かそれ以前、当時のお年寄りはみな明治の早い頃か半ばまでのうまれだったのでしょうか、かれらによく質問したものでした。
なぜ戦争を始めたのか?鬼畜米英とほんとうにそう思っていたいのか。などなど。返事はもちろん一様ではなく、いろいろでしたが、記憶に残るもっとも多い返事は、日本がエネルギー不足、つまり石油などを輸入できないように米国がしたので、活路を見いだすためには戦争しかなかった。生きていくために必須のエネルギー輸入を遮断されれば他に方法がない、それでだれもその点で反対が出来なかったと言うものです。別に米国より強い帝国になりたいのではなく、生きていくためにはしかたない、こういう議論です。なんだか北朝鮮の言説にも似ているし、いまの再稼働の理屈にもどこか似ています。
あとになれば、それとこれは別問題他に方法がなかったのか、と誰でも思うはずです。経済的にも政治的にも米国に降参して白旗をかかげるという案もあったはずです、彼我の実力を考えれば。そのあたりが客観的な判断だと
しかし当時の日本いわゆる一等国、広大な植民地を自分の領地と思っていました。そんなことが出来るはずがなかったのです。
いまの日本、ついこの間まで世界第二の経済大国などと言っていました。停電が毎日の貧困国などなりたくない。そして経済第一の国是をそう簡単に変えられないのでしょう。
しかし、再稼働に踏み切った後にだれもが予想もしなかった悪いことがおきないという保証はないのです。
戦争に踏み切ったときに、多くの日本のトップは最初の半年で米国を驚かせ、それで和平交渉にでればいいと思ったし、山本五十六大将もそう周囲に言っていたそうです。しかしあに図らんや、中途の和平などまったくありえませんでした。安易の予想などあてになりません。
二回の原子力放射能の災厄は国家に三度目をもたらさないという保証がどこにあるのでしょう。日本は呪われているからもう二度と原子力に手を出さない国是を作ろうという神がかりの有力政治家がでてこないのが不思議です。経済と合理的理性はすべてに優先するのでしょうか。民族のいのちに優先するのでしょうか。いっぽうで、貧しいのはいや、電気がつかないのはイヤ、原発しかたないよ、という意見も当然あるのでしょう。
300万人以上の日本人は戦争で死んだけれども、不死鳥のように日本はよみがえっただから原子力でどんなにひどいことが起きてもまたかならず日本はよみがえる、心配しないで欲しい、ここまで政治指導者が言ってくれるのなら、あまりついてはいきたくないが、しかし指導者らしい発言と聞きましょう。
いずれにせよ、国民もはらをくくって、この原発再稼働問題をかんがえないといけないのでしょう。
特に若い世代は。これから50年、60年、70年と生きていくのですから。
深刻な自分の問題と考えてほしいです。

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