40歳の頃、潜伏期の実績、ひろい芸風で助かる

自分が40歳の頃はどうだったのだろう、と思うことが最近何度かありました。
明瞭に思い出せるはずもないのですが、なかなかしんどい時期だったことは確かです。ただ教授にはなっていましたので、自分の裁量で決めたり動かせたりすることは研究遂行上はできたのでそういう点での難しさはありませんでした。
ただ、研究テーマを大幅に変えて、細菌のウイルスから酵母の染色体ですから、地盤のなさ、実績のなさ、でだれもがわかる説得力のある研究成果をあげるべく最大限の努力をしていた時期でしょうか。
でもなかなかそんな成果はでてこない、生みの苦しさを味わっていたのではないでしょうか。
ただ、本人的には苦しさを味わうという実感はなくて、実質的には研究はずんずん進んでいたので、満足感も多々ある刺激的な日々を送っていたのでした。ただ、実績がない、真核生物の染色体の研究でだれもがなるほどとうなずいてくれる実績がない、つまり証拠となる同業のだれもが認めてくれる論文が公表されてないじゃないか、という時期でした。
まあ潜伏期みたいなものですか。昆虫でもさなぎの時期にもう成虫のかたちは出来ているのですが、ふ化しないかぎり成虫の姿はみえない、そんな状態でしょうか。
研究の世界でかたちで見える実績と潜伏期の実績はだいたい2年、場合によっては3年くらい遅れて出てくる感じで、その遅れがなかなか研究者の日常的なリアルな感覚とマッチしないのです。
40歳の頃は特にこのあたりの潜伏期にぴったりあう人が多いのではないでしょうか。
ですから、40歳の頃に、生物や医学関係では、知る人ぞ知るの人物に達した人たちがおおいものです。
このあたりもっと加速できたらいいに違いありません。
でも、40歳、不惑の時期というのは昔の話で、いまはいちばん惑ってしまう人たちも多いみたいですから、しばらくは知る人ぞ知るの状態で(楽しく)武者修行をしているほうがいいのかもしれません。
わたくしの場合は、40歳の頃は染色体の研究の表にでる研究論文は発表段階で苦労していましたが、別にアマチュア的にやっていた蛍光色素で染めたDNA単分子の溶液内観察がおもしろくて論文も発表も生きたDNA分子の挙動とかいうキャッチフレーズでかなり世間を驚かせたりして、そちらのほうで息をついていたのでした。
芸は身を助けるじゃないですが、芸風は広い方が機会がふえるものです。

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