激しい雨です。まさか台風の影響とは思いたくないが、ひどい雨です。散歩はあきらめて、勉強と家事にあけくれています。
勉強はもう態度を決めたので、渋滞はあまりしません。
丁寧に食事を作って、洗濯もこれまた丁寧にやって、手洗いの衣類はきちんと分けて洗剤も別であらいます。いつものことです。浴室の温度を乾燥にすると相当の高温になり5,6時間で乾いてしまいます。食事のほうも冷蔵庫内を点検して、まだ買い物は必要ないことを確認して、さらにパンなどもあるので、籠城生活は相当期間できます。アマゾンに頼んだ飲み物ですが、さっき宅急便、到着しました。段ボールを開けて,ショック、だいぶ前にもう決して買わないと決めたあの店からまた買ってしまったのに気がついたのです。商品をみるまでわからないとはわれながら情けない。でも薄々は危険を感じたのですが、鮮明に記憶していなかった。もうこれでないでしょう。でも飲み終わる期間いったいどれくらいかかるのか。
いまの日本の状態、昭和の一桁から二桁になる頃、大戦になる10年くらい前に似ている、という意見、わたくしはまだ生まれていませんが、否定よりは肯定的な気分に近いです。
あの頃も世界の不安定は欧州から始まっていたのでしょう。日本は満州を占拠したにもかかわらず、植民地としてしまったので、国際問題というよりはむしろ国内問題と受けとめられていたはずです。しかし、米国や英国は日本を圧迫しいざとなれば戦争もありうると思っていたはずですが、日本人の多くは自分がしかけないかぎり、戦争になるまいと判断していたのでしょう。石油の輸入も深刻になってきたのに、その打開策は見えていません。しかし、これも経済的な問題であり、その範囲の問題であり、壊滅的な出来事にはならないはず。結局、国の困難を前にして国の隅々まで統制的になっていったのでしょう。その時に先頭にたったのが、NHKの放送や大新聞だったのではないでしょうか。統制の先頭に立つという意識はなくても経済的な困難や国内での意見の不一致が国の力の弱体化に向かうと言うことで、メディアが自己統制に向かった。わたくしはそんな風に思うので、そのあたりが今の日本の状況に似ていると思うのです。日本と米英の対立は深刻でもそれは国際的な枠組みでの権限の争いであって、よもや日本が壊滅的な破壊をうける戦争になる道を歩んでいるはずがない、という確信が朝野をおおっていたはずです。しかし、日本を外から見ていれば、このままいけば日本は米英と決定的な対立になると予想した人が多かったはずです。
鬼畜米英という言葉は、敗戦濃厚になった頃に使われたはずで、戦時標語の最初は、挙国一致、堅忍持久、だったはずでこの頃はもう日中戦争は始まっていましたがでも大戦の始まる2年くらい前のはずです。いまの日本の大マスコミ標語とあまり変わりません。みんな日本人一緒になって、我慢して耐えていこうと言うことですから。日本が真珠湾攻撃をしかけた大戦開始一年前になる頃には、贅沢はできないはずから贅沢は敵になり、女性のパーマネントはやめましょうとなったのです。戦争が始まっても最初は欲しがりません勝つまでは、とか進め一億火の玉だ,だったのが、その後はどんどん戦意昂揚の今から見たら信じられないような標語になっていったのです。
つまりわたくしが言いたいことは、政府と大マスコミが一致して邁進している、世相が当時と似て来たように見えるのです。
内容的には、消費税の増税による財政の健全化、経済優先の政策の推進を一刻も早く実現したいということで、国民の支持のあまりない政権を大マスコミ中心に支えていることがその当時と似てきているのでしょう。戦争の前に、まず経済での困難が相当の長期間あったと言うことです。日本はいまどこかの国と一戦を交えるようなことは全くないはずです。でも竹島や尖閣諸島は扱いを間違えたら、いかなる偶発的なことが起きるか分かりません。この問題について、米国はいっさい介入しないでしょう。この問題について日本は友好的な応援してくれる国は他にはどこも無いかもしれないと思うべきです。また朝鮮半島での南北での情勢は楽観はすべきでありません。
そういうわけで、大マスコミが政府の支持を躍起になってしている,現状は国民としては相当な危機意識で観察し、なぜなのか、分析しないといけないのでしょう。つまり彼等が持つ強い危機意識が何なのか、そしてそれが国民の多くに共有されてないのはなぜなのか。そして、大マスコミがひとたび、政府の批判勢力でなくなると、いつかあった道の景色に似てくるという、デジャビュ既視感にとらわれる事実です。大連立という反対党のない状態をマスコミの一部が主導しだしていることも国家統制に向かっている証拠のように見えます。
そして今から数年後の日本はどうなっているのか、隣国と仲良くやるどころか、険悪になっているなどと、まったく考えたくないのですが、でも中国大使館の一等書記官の行動などの報道をみると、国民の不満の対象を隣国に向けるという、いちばんいけない衝動を、報道が持ち出しているように感じだすのは、大げさな杞憂だといいのですが。