大津市の中学校での事件、地のひとたちとよそものたち

ひさしぶりに【たかじん委員会】を見ました。そうしたら、またまた大津市の中2生へのいじめ事件の特集があり、コメントするみなさん憤慨、憤激、犯罪だとの烙印でした。先生、教育委員会、PTA、そしていじめの三人の子供達が悪すぎると。
マスコミのおもてに出てくるのをみたらそのとおりなのでしょう。その言説を否定する気もないし、またこの一連のできごとになにか気のきいたことをいえることも出来ません。ただ、もう20年か25年くらい前にこの近隣のの中学に息子二人を送っていた父兄のひとりとしてなにか言っておきたい気はします。
わたくしの息子ふたりは年はみっつかよっつ離れていますが、この比叡山門前町かつ中規模新興ニュータウン住宅地の子供がたくさん通った、中学校に行きました。どちらの時期も、かなり荒れていたようです。先生の言うことをおとなしく聞かない子達がいて、また授業中ずっと大声で私語をつづけるとか、そういう端的な状況だったのでしょう。いじめももちろんある程度あったでしょうがむしろクラスが荒れる,先生が制御できない、そういう感じでしょうか。
この中学は、大津市でいちばん荒れている学校とか当時聞いたことがあります。でもその当時、これあれ方は一過性で、つぎは今回の事件の舞台の学校が荒れますよ、とか聞いていました。実際にその通りになったようです。こちらのほうは一過性でなく長く続いているのでしょうか。
ここからはわたくしの仮説なので、信じてくれない方がありがたいです。
こういう大津市のような土地柄は、昔から住んでいる「地のひとたち」と外から流入する「よそものたち」からなっていて、学校にしても地域にしてもなにかといざこざ、コンフリクトが起きやすいものです。
子供のあいだの秩序も田舎の秩序でもなく、また都会の秩序でもなく、むかし風といまふうの雑多な人たちからなる都会風がまざって、テンションが絶え間なく高くなりがち。
ところが教師である、先生は国立の滋賀大の教育学部卒業生でがっちり固まっていて、基本的に「地のひと」たちなので、クラスの中の様子がつかみきれない。
父兄のなかでは地の有力者の意見や勢力に先生はなびきやすい。
わたくしの記憶では、滋賀大教育学部は日教組のわりあい強固というか社会党系が強かった(小学校はですが、中学はしりません)。革新的なプライドはありますから、なかなか考えは変えることができません。
中学生か小学生の息子が食事時に、先生が滋賀県を一歩も出ないで人生をおくって来たことを最高の誇りにしているとか言うのをきいて、おもわずごはんにむせた記憶もあります。

ですから、いじめ側が地の家族の子弟、いじめられ側が外からのよそものの親の子供、先生はいじめ側と似たようなメンタリティー。こんな仮説でこの事件をみると、いじめられた子供の傷ついた心を充分に分かる先生がいなかったのではないか。しかも、いじめ側には有力者の父兄と聞くと、ますます構図が見えるような気がするのです。
ここまでまったくの仮説ですが。
おもえば、子供をそだてるには案外難しい地域にいたもんだとおもいます。
雄琴あたりの地域では小と中学校はほとんどよそ者が圧倒的に多いニュータウン地域ですので、いじめも単純だったかもしれません。
余計なことですが、大津市の前市長は土建系の地のひとのようで、前回の選挙で、全国でいちばん若い女性市長さんが当選しました。自分もいじめられてと、会見中に落涙しました。よそからの流入者だったのかもしれません。
自殺した子供の気持ちや父兄の気持ちががよくわかる先生はいなかったのでしょうか。
わたくしの疑問はそのあたりです。分かってれば、自殺もなかったのではないでしょうか。
いじめた子供達といじめられ自死を選ばざるをえなかった子供の姿はリアルにそのうちみえてくるものとおもいます。
こういうことを書くと,誤解されそうですが、地の人間が悪いのでなく、地の人間はどうしてもよそ者がなんとなく憎たらしい、地の人間を分かろうとせずに、勝手気ままに見えるのではないでしょうか。地の有力者である教育委員会の委員長が絶え間なく、被害者の家庭に問題があると言い続け、訴訟も続けたいといっているのをニュースでみると、やはりと思わざるをえません。
委員長の本音を聞いたらたぶんびっくりするようなことを言うはずです。つまりそれだけ、考えが違うのでしょう。
ニュースで知るかぎり、いじめ行為にはほぼ犯罪と言えるものがあったでようですし、司直の世話にならざるをえないのはしかたないでしょう。
そのこともあり、大津警察の家宅捜索、わたくしは非常に良かったと思っています。

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