尖閣に日本人が10人上陸したとの朝のニュース、別にニュースにならないことがなるのですから、この尖閣問題、さわるのがむずかしい。生命科学をやるものがこういう問題を論じても別になんの重みもないのですが、わたくしも沖縄県民ですし、意見を開陳しても悪いことはないでしょう。はっきりいって、難しくきわどい問題を論じること自体には誘惑を感じます。
領土問題は熱くなったら議論をしない方がいいのでしょう。
ただ、短期的にはつぎつぎに波状的に中国か香港か台湾の一部のひとたちが上陸を敢行したらどうするか。
そしてそれに呼応して中国本土や日本の本土でも暴力的なデモや観光客への嫌がらせなど、さらには不買運動などの経済問題に波及するかもしれません。なるべくそうならない方がいいに決まっています。いまのところ、日本も中国政府も自制の力はつよく働いているので、危機的な方向に行かないといいのですが。
しかし動には反動というふうに、力と力がぶつかって行けば予想もしない危ない方向にむかうかもしれません。
そもそも、中国がなぜ尖閣を固有の自己の領土だと言い張るのか、この意見に耳を貸さないのはまずい。
いま韓国が日本の国際裁判所への提訴について一顧だにしないと政府がいえば、なんという心の狭さか日本人は感じるように、日本が中国の尖閣についての主張に耳をまったく貸さないのでは中国側から見たら同様に感じるはずです。世界の関係のないひとびとも日本は耳を貸せというに決まっています。
この際おおいに耳を貸したらいいじゃないですか。
平和的な議論はいくらやってもいいでしょう。
やるべきです。いろいろ分かることがあるはずです。まさに歴史感覚のちがいです。
わたくしは中国本土知識人の歴史感覚に大きな誤りがあると思っているのですが、また日本人に取って極めて危険な歴史感覚がある信じていますが、それはまたいつか意見を開陳したいです。
わたくしは、この尖閣の帰属の問題の議論に、沖縄県民とくに八重山、石垣の人々が参加したらいいと思います。中国政府は、台湾は中国の一部といってるのだから、台湾の一般の人々、特に漁民の人々などが参加したらいいと思うのです。
つまり、日中政府間の交渉というか議論の場に、沖縄と台湾の人々が参加して、四者がテーブルについて議論するのがいいと思うのです。
歴史的にもそれが正しいのだとおもうのです。これから100年、200年も認めあえるルールを作るのであれば、100年前、200年前の時代を考えれば、琉球と台湾に住む人々が議論の主役として参加して、真っ向からぶつかりがちな日中政府の両国とは異なるより現地的な解決策を生み出せるのではないでしょうか。
そもそも領土問題などは、現地ではたいていは共存共栄の知恵が働くのです。血で血をあらうような凄惨な出来事がおきるのは、国家が鎧をつけて出てきてから起きがちなのです。