新春の天気予報、京都に出かける、無駄話の効用

きょうはずいぶん良い天気で、元旦から結局ずっと過ごしやすい天候でした。ただ、風はちょっと冷たいなと思いましたが。
新春の天気予報とはずいぶんちがうじゃないか、風雪が猛烈に激しいとか、いう予報はどこか当たったところがあるのでしょうかね。
悪い方じゃなくて良い方に外れたので文句がないのか、天気予報にはわたくしはそれなりの信頼感があるので、こういう時どうして外れたのか、ちょっと説明があるといいのに、とおもいます。
今日は次男は北海道に戻るので、京都の河原町界隈でショッピングをしてから昼飯をたべて、京都駅までおくり、そのあと長男、娘、孫たちと一緒に坂本に戻りました。寒いという予報で、比良のほうは敬遠してましたが、これなら行っても良かったかなと思いました。
元旦の日から、沖縄のSK君の研究のまとめを真剣に考えだしています。順番的にこの時期に彼の研究のことを集中して考えられるのは、わたくしにとってはありがたいことです。
なんべんか短時間ですが机の前に座ったので、構想が固まりだしています。やはりああでもない、こうでもない、とメモ的に書き出しつつ、推敲して考えるのがいちばんです。わたくしの場合、書かない(タイプを打たない)と自分の書いた文章を見ないと、本格的に考えることができません。

年賀状に、わたくしのブログが地方在住の研究者にとって励みになるとの、言葉を見つけました。具体的にどう役にたつのか知りたいものです。
今の時代、地方だろうが都会だろうが、ネットを通じて世界を標準にしてやったり考えたりしていれば、なんでも出来るという気がします。
大切なことはネットだけでは駄目で、顔と顔をつきあわせての会話というか接触がおりおりに必要です。一度あってしばらく話し合えばその後最低2,3年は直接会わなくても親しい関係はもつとわたくしはおもいます。
でもやはり折々にあって無駄な話もしたいものです。
無駄話の効用は非常にあります。というか人間関係も無駄話抜きの関係ではどうもなかなか深まらないし、発展しないのではないかとおもいます。

元旦に発表があった朝日賞に山中さんが入ってました。良かったでした。

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