あさ外を見たら、しっかり雪が降っていました。5センチというところでしょうか。でも道路は歩けそうです。駅までの道、比叡の山は真っ白、木々も雪でお化粧というところでした。
出かける前に、部屋の一角を片づけたら三年日記が一冊出てきました。あまりいい記憶はないのですが、開いてみるとやはり三ヶ月できちんと止めていました。とすると、全体の12分1しか書いてないところで挫折しています。自分が三日坊主のことをわかっていながらついついやってしまう気質が濃厚にあった時代です。片づけてるわけですが、記述の部分を捨てるのはもったいないので、残りの白紙の部分は捨てることに決めて、びりびりと破って、書いたところだけ残しました。
日付を見ると、1977年とありました。31年前です。
記述をみると面白いことはあんまり書いてないのですが、まだ自分は毎日実験をしていることがわかります。
図などを入れて、考えている様子がわかります。何日分か拾い読みしているうちに、いろいろなことがまざまざと思いだされてきました。
まだバクテリオファージ、つまり細菌ウイルスですね、そのT4の形態形成の実験をしているのでした。学生さんもひとりふたりいましたが、自分でやった実験は自分で論文を書いて単著で発表などしていた時代でした。
T4頭部の前駆体をつかまえるべく、色んな突然変異体と使ってやっていたら、いくつかの低温感受性株で、はっきりした前駆体を見つけたのでした。
嬉しいらしくて、日記に手書きの絵が描いてあります。
ワイングラスの上部のようなかたちをして、それらが細菌の内膜にお花畑のように咲いているというか、並んでいるのでした。
こういう前駆体は普通に研究していたらほとんど見えません。ごく短時間出現してすぐ次の最終構造になってしまうからです。
前駆体の出現時間が1秒よりもずっと短ければ多数の最終構造に隠れて見つけるのは難しいのですが、変異体を使えば前駆体より先に進めないので、沢山前駆体が見えてくるのです。
そうか、あの仕事は結局どうしたのだっけ、と考えるとこの後すぐに教授になってしまって、いまの研究テーマに変えてしゃかりきに頑張りだしたので、きちんとした論文にしないで、2,3年後にレビューのなかで結論だけ書いたのを思いだしました。
もうひとつ思いだしたくないことも思いだしました。ファージの仕事は沢山変異体をとったけれども、一部は海外の研究者に送ったけれども研究室の地下のどこかの小さめの冷蔵庫においておいたがもう二度の引っ越しでどこかに消失してしまったのだろうな、この前駆体を沢山見せている変異体もどこかに消えてしまったのかな、と思ったことでした。
この前駆体をなにかの例えに出来ないか、今日のブログのネタの締めに使えないか、とかんがえましたが、ひとつまあまあのを思いつきました。
最近の若者(年寄りのくちぐせですが)は前駆体人間がおおいな。
昔なら、中学くらいですませてる前駆体状態が、大学院生ならまだしも30才過ぎ場合によって40才ひどいのは50くらいでもいるな、と感じたのです。
たぶん死ぬまで前駆体で完熟というか成熟せずにその人の最終型にならずに死んでいくのだろうな、と思ったことでした。
わたくしだって、死ぬことを一生懸命考えた昔の人から見たら、甘くて甘くて前駆体人間のままで60代半ばを過ぎているのかもしれません。
NHK新会長、アサヒビールの元会長さんらしいですが、よくぞ引き受けたものと、あきれています。ビールを売って40年、法令遵守がウリの人らしいですが、よせばいいのに、とおもいます。日本人の若者は日本語をしっかりまなべとかいいながら、自分の話は外国の受け売りの経営理念をアルファベットの記号を連発したお里が分かる講演録をみました。
しかし、歴代の会長さんも見るべき人物はだいぶ前にさかのぼらないといないようなので、こんなものなのかもしれません。