わたくしの住む町

日曜ですが、あしたは朝から沖縄行きで、いちにちスケジュールがきついのと泊まるホテルのネット環境がかなり貧しいので、夜にブログを書くのはかなりきついので、あしたの分を今のうちにかいておきますか。

またまた週末、雨と雪です。まいりました。
しかたないとは言え、ことしの週末はほんとに雪がよく降ります。
昨日のうちに比良から戻ってきました。正解でしたでしょう、こちらでも朝は10センチくらいの降雪でした。
テレビではイージス艦衝突の続報と三浦和義氏逮捕のニュースでもちきりです。イージス艦についてはわたくしが最初にイメージしたものがだいたい当たっているみたいなので、やはりそうかとガッカリしています。情けない。それに石破防衛相の言動がわたくしには評価できません。まずかならず辞職する、というべきでそのうえで事後処理をしばらくしたらいいのかもしれません。なにしろ人ごとみたいでかつ自衛隊の弁護ばかりですし。

わたくしが比叡山坂本で住んでいる地域はいわゆるニュータウンで、かなりの大規模な工事をして作られた町です。一丁目から四丁目まで1400世帯くらいあるようです。どの敷地も50とかたかだか75坪程度のこじんまりした土地に家が立ち並んで整然としすぎて、味気ないと言えば味気ないのですが、でも山科のアパート団地から移り住むときに見渡す限りにマンションというかアパートが一切視野に入らないのを、ずいぶん気に入ったことは事実です。

しかし、この地域、最近は歴然として人気がありません。東京近辺の人なら驚くようなはした金とでも言える金額で中古の家のついた一軒家が買えます。
ここよりも遠くて新快速の電車も止まらない雄琴駅の広大なニュータウンと比べるとかなり割安感があります。しかし売り家がなかなか売れません。なぜでしょうか。
その理由を今日は考えてみますか。
ひとことで言って、教育熱心な人達は、教育ライフサイクルの終わったような感じのわがニュータウンには住みたくないのでしょう。かつては、一学年で四組も団地内の小学校にあったのが、いまや学年ひと組で、しかも一学年に20人くらいしか児童が居ないそうです。全校で120人というと、世帯数が12くらいでやっと一人小学生が居る勘定になります。少子化とはいえこれはかなり寂しい。

まさに少子化高齢化まっしぐらなタウンなのです。さらに悪いことには、学区の自由化によってどこの小学校にでもいけるので、六年間同じ生徒と一緒ではかなわないというので、親が近所のすこし離れたところで、もっと子供の多い小学校に行かせたりするので、ますます子供が減ってしまい、かつては大津市でももっとも校庭の広かった小学校は手入れもいかなくなって、広すぎる校舎と相まって、なんとも言えない空虚感に包まれてい居るような感があります。

この町の欠点は昭和50年くらいの大規模な団地開発にあった、ほとんど同世代の人間が集まって来たので、ほとんどの世帯主が似た時期に定年を迎えることにありました。自営業などがすくなく俸給生活者が大半なことからも、町のもつ均質感が住民の加齢により最近一挙に加速してきたようです。それでも団塊の世代も多くいっときは非常に元気もよく賑やかだったので、町全体の高齢化にたいしておおくの住民がかなり無頓着であったような気もします。
人工的に出来た町で、小公園や集会所などは沢山あるのですが、神社や仏閣はひとつもないし、墓地もありません。病院はありますが、昭和50年代最初に計画された町の持つ魅力の乏しさはいかんとも否定できません。コンビニが無いのが致命的とか聞いたこともあります。
ビルの決して建たない広大な敷地の中で、閑静な住宅地の良さに、住民が安心しているうちに、一軒ごとの財産価値はどんどん減っているのが実情でしょう。

この町はこれからどうなるのか。
司馬遼太郎氏だか誰かが言ってましたが、町や村落が新しければ、二代の世代が死ななければほんとの町にはならない、と。
これは真実であるに違いありません。だいぶ先の話ですが、わたくしもこの町がいちどどん底を迎えてから、将来魅力的になるとしたら、いまから半世紀先なのかもしれないとおもいだして言います。
いま初代住民の子供たちがぼちぼちこの町に家庭を作って住みだしています。かれらが、自分の子供たちと付き合っているあいだに、この町をどうすべきか真剣に考えだしてくれるだろうと思っています。
最低限、われわれが住みだした時期に比べて、この町の住環境は悪くなってないし、人々の生き方の多様性もだんだん見えだしています。
格差社会とかいわれますが、この均質な町にも格差の波がやってきていることは確かでしょう。

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