わたくし、働き過ぎだなと正直おもいます。
でももう40才になった頃にはかなりそう思ってまして、そのうち大病するのではないかという恐怖感もありました。実際、米国でいっぺん救急車で病院に行ったことがありました。猛烈な腹痛でした。40才になった頃です。尿管結石でした。尿に血液があることがわかったら、もうそれで病院でのあつかいはおしまいでした。次の朝には病院から出て行けと、いわれました。麻酔を何本も打たれた後でしたから、ひどい病院と思いましたが、結石がでると、後は腹痛の残存以外病状というものは存在しなくなったので仕方ないのかなと思いました。この時の、結石は間違いなく、働き過ぎが原因でした。毎日論文書きで座りっぱなしの不健康きわまりない生活でしたから。宇宙飛行士もなるそうですが、骨が溶けて結石が出来やすいという、医師の説明でした。しばらく、縄跳びしたり、スイカを食べるとか、2時間以上は続けて座らないとか、やりましたが5年再発しなかったので忘れてしまいました。ただ、もう若くないので健康に気をつけようとよく思ったものでした。腰痛もその頃がピークだったような気がします。それから、いつのまにか4分の1世紀経ちました。
ただ働く時間が減った感じはありません。やる仕事が無限にあるように感じるのです。まさに朝起きてから寝るまで。ひどいものです。でも、沢山仕事をぼろぼろ落としながら、生活してるような感じです。典型的な仕事中毒に見えるでしょうね。
ただ、わたくしはかなり生来楽天的なのと、3年ラテン系文化で生活したので、頭のどこかに「今日できることは、明日やれ」「まず楽しめ、苦しみは後へ」という考えがありますので、働く時間数は一見過激ですが、結構余裕はまだ残ってます。
それに何年も前から、土曜はラボにでないで家で仕事をするようになってから、生活が格段に楽になったような気がします。それに週末の勤労は基本的に楽しみのあるものに限るようにしてます。わたくしには論文書きの相当部分はまだまだ楽しい勤労です。
わたくしは、関西地区では職住近接とはまったく言えず、通勤に片道1時間はかかってます。でもこの1時間がいろいろ雑事も含めて考える時間となり、仕事と家の緩衝帯となっていて、わりあいクリエーティブな原因をつくってくれたような気がします。
年取ってくれば明らかに低下するものがありますが、知恵は増加してるようで、わたくしは、10年前より研究者としての能力は上がったし、労働時間もまあまあ同じくらいだし、定年になってからは雑用が極端に減りましたので、研究にかける時間は相対的に格段に増えてます。まだまだどんなポスドクに負けない研究意欲を持ってるつもりです。
ですから、これであと学生諸君の学位の目途さえ立ってくれば、義務的な勤労が相対的に最も低下した人生における最高のバラ色の時がやってくるのではないかなどと、感じてます。労働時間は、今より増やすことは無いでしょうが、出来たら今くらいの感じでやっていけたらと思ってます。家族は妻だけですし、最近は東京での孫二人というアミューズメントがあるので、文句も言いませんし。
なおたしかにわたくし15年前U2のかなりのファンでしたが、いまはさっぱり聞いてません。いまはわたくしとほぼ同年齢で頑張ってるBritsih rock singersに親近感を感じてそっちを聞いてます。でも、ながら的にはやはりclassicで、なおかつ論文のinitial draftを考えるときは音楽は聞きません。集中できないので。そういうときは、雨とか風とか鳥の鳴き声とかそういう音が聞こえるといいですね。