戦慄する秋葉原通り魔事件, crooked、中学生から日本を見る

昨日おきた秋葉原での歩行者通りでの7人殺傷事件、戦慄しました。

最初に車で人通りの中に突進して何人かをはねとばしたこと、次いで刃物で20人近くにおそい7人もの人たちを死亡させたその恐ろしさと、捕まるときは警察官と刃物と警棒で争い、警察官が拳銃を見せたらすぐ降参したとのことなので、自分が死ぬつもりでやってない、ことはあきらかで精神錯乱とか理性を完全に失った人間の行動ではなく、理性をもちつつこの戦慄すべき凶行に及んだようです。

これが社会のなかの例外的人物がやったこととして、例外的偶発的な凶暴な事件として分類されるのならまだしも、わたくしには今の日本の社会の病理の一つの産物ではないかと思えるのです。

そう思うようになったのは、今朝のテレビどこか忘れましたが、この少年が中学の頃は明るくて朗らか、勉強も良くできてみんなの人気者、周囲から期待されていたのに、中学後半から暗くなって傍に近寄りにくくなったとの同級生のインタビューがありました。それは、まだありそうですが、中学卒業文集が英語で書いてあったことです。
これもまだしもかれませんが、そこに自分の弱点と自分の人間性ということをそれぞれ英語で書いてありました。weak pointとpersonalityと書いてあったとおもいます。
ごく短時間の画像での紹介でしたのでうろ覚えですが、そこにはこう書いてありました。
弱点というか弱みは過去を問い質されることとありました。
たしか、inquiry of pastというようなたぐいの英文でした。
人間性については、なんとcrookedとありました。
性格、心が曲がっているとでもいいますか、転じて身体に欠陥があることを表現するのにもつかいます。crookだと正直でない人、詐欺師に使いますので、crookedであって、crookではないということを区別して書いたのなら、自己省察に相当すぐれた中学生と言わざるをえません。

このような英語の意味を日本人の中学生が分かって書いたのなら、末恐るべしでした。
とても気になったのが過去を調べられるのが自分の一番の弱みということの意味でした。
いったいなにがこの少年、後に多数の死者を生みだす戦慄すべき事件の犯人に、おきたのでしょうか。人には言えないことに違いありません。でも大人が聞いたら、たいしたこと無いようなことだったのかもしれません。
秋葉原によく出かけていたらしいので、パソコンに興味があり、よく聞くアダルト系のサイトにひっかった少年のひとりだったかのかもしれません。

警察はもちろん徹底的にしらべるでしょうが、人間の罪業の深さを理解できる小説家たとえば松本清張とか水上勉のようなかた達の意見を聞いてみたい気持があります。

わたくしがいま感じることは、日本の中学校というか中学時代はともすると非常に過酷でつらい時期なのかもしれない、ということです。
無防備の中学生は、いまや金銭至上の競争本位、興味本位社会に成りはてた日本の大人社会の犠牲者に容易になってしまう、のではないだろうかということです。
そのような犠牲者がときには激しい怒りを社会にもってもそう驚くことではありません。
もしもこのような推理が一部でも当たっているのなら、わたくしたちの社会は、このように能力がありながら、まともな大人になれずに、場合によっては戦慄すべき事件をおこす犯罪者をうみだしてしまうのかもしれません。
日本社会を中学生の立場で徹底的に点検したら、いろいろな病理がみえるのにちがいありません。

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