おばの死去、最後の最後の一点

きょうのブログを書こうとおもっていた矢先、携帯に妻から電話。勤務時間に電話してくるのはなにかあったときだけですから、なにが?とおもったら、栃木のSおばちゃんが亡くなったとのことでした。
父がたのおじ、おばの中でひとり存命していたのですが、詳しいことはわからないのですが、急死とのことでした。
わたくしは、あしたから、沖縄の会議に出る予定で今週も沖縄行きの予定でしたので、どうしようかと一瞬おもったのですが、妻がわたくしが行きます、といってくれたので、そうしてもらうことにしました。二年ほど前におばの家にいって、親しく話をしたのが最後になりました。とても元気そうでしたが。
享年87才とのことでした。おばについては、色んな事がおもいだされますが、とても人間的な暖かいひとで、わたくしにも子供の頃からいろいろと人生の糧になるようなことを、たくさん言ってくださって生きているだけで、心強い存在でした。
心におばの温顔をおもいうかべると、父の顔も同時におもいうかぶほど、ふたりの容貌はよく似ていました。
葬儀にはいけませんが、おばの心の奥底にあるものをよく分かっているつもりなので、おばのことをおもいおこすことは、わたくしの人生において、これからも何度もあるでしょう。

この時期、畑の維持は重労働です。
雑草がものすごい勢いで大きくなるし、作物はすがたかたちをととのえる必要があるし、相当にくたびれます。
でも土日がんばって、なんとか気分よく坂本のほうに戻れました。
葉物、トウガラシ系、キュウリなどは食べきれませんから子供達に送ったりなどしています。
アーティチョークまた食べましたが、おいしく食べられました。

昨日は晩飯を食べながら、サッカーの試合を見ました。
終わりまで見ると遅くなるので、休憩時間のあいだに坂本に戻りました。30分弱で帰れるので、見逃す時間はちょっとです。
0−0のままで不完全燃焼気味でしたが、最後にたなぼたのような、一点が入りました。
ああいう、押しに押しても一点も入らないで、最後の最後に偶然がかさなるような、一点なかなかよいものでした。
巻選手の泥臭いゴール際の突進と、内田でしたかのヘッディングのボールがよく跳ねてキーパーの頭上をこえてしまうという、ああいう一点は教訓的でした。努力が最後に報いられたともいえるし、こういう一点があるいみ日本にとって望ましい勝ち方としてもいいのかもしれません。
勝負事はやはり忍耐が大切なのでしょう。

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