ふがいない日本、わたくしの研究科内での境遇の真相、自主構造研への長い道のり

米国は北朝鮮にたいするテロ国家指定を辞めるとのこと、日本はなにもできず。米大統領の、拉致被害者を決して忘れないという言葉がむなしく響きます。
首相よりも、横田夫妻のほうがはるかに日本国民に語りかける力があることを、首相自身知らないのでしょう。
米国に強い態度を示せる政党がどうしても必要です。分かり切ったことですが、そのような政党を政権にもたないことが、このような弱腰日本になっているのです。若い日本人にそのあたりを分かってもらえればいいのですが。いまのテレビタレント知事などには望むべくもない外交についての手腕ですので、人材を育てる時間も必要かもしれません。しかし、わたくしなど戦後日本のふがいない大人を見て口惜しい、とおもって、自己形成した面もあるので、このふがいない日本の状況こそが世界に発言できるあたらしい人物を日本から生むに違いないと期待したいものです。

きょうは研究科のシンポジウムで、午後最後にしゃべる順番です。
わたくしはもう退職して3年以上たち研究科もわたくしを特任教授として遇していただいているのですが、実態は教授でもなんでもなく、研究科でおきていることはなにも知りません。というか他のラボは教授会にでるラボヘッドがいるのでなんとなく情報が漏れ聞こえるはずですが、わたくしのラボは建物からしてはるかに離れているし、正規教員もいませんから、研究科の情報からは完全に途絶しているのです。噂のたぐいも、わたくしもラボメンバーもの情報はゼロです。なんだか変でしょうが、これが真相です。いまだにわたくしの後任が決まっていないのは、どうも確からしいです。不思議です。
そういうわけで研究科シンポジウムといってもなんとなくばつが悪いので、時間に間に合うようにいって、終わったらそこそこ帰ってくるのがいつもの習慣です。はっきりいって、呼ばれたくないのですが、間借りしている以上、呼ばれれば、いかねばなりません。
しかしこのような状況は京都大学の昔からの伝統で不思議はありません。辞めた先生は極力姿をキャンパスや現役先生のまえにはさらさないというのが、これまでの不文律です。わたくしも現役のときに不思議におもいませんでしたからしかたありません。しかし、その立場になれば、これは変えたほうがいいし、年寄りの忠告は役にたつことが最近自分でもよくわかりますね。

きょうからラボが正式に引っ越ししました。
このラボに来るのには相当の道順を歩む必要があります。
入った建物の正規玄関がまだ工事中で使えないので、11月(たぶん)までの変則的な状況ですが。
まず隣の建物に入るために、工事建物が邪魔しているので、崖にかかった粗末な六段のはしご階段を昇ります。ついで隣接した玄関から建物に入り、3階までいってから、建物のあいだにかかっている連絡用のブリッジを通ります。この時に2つの鉄扉の暗証番号が必要です。それを越えると暗い廊下があってそこを数十メートル歩けばわたくしのいるオフィスおよびラボ周辺で、訪問者に知らせるのは相当に難しい。

タイトルとURLをコピーしました