枝豆を食べる猿飛、楽しい研究、藤原信也氏のコメント、秋葉原通り魔犯

土日は雨がちでしたが、外に出ている時間が長いことでした。
日曜帰る2時間くらいまえに、妻があわてたようすで、猿飛佐助の襲来をわたくしにつげました。
なんとネットのしたの竹の棒を持ち上げてそこから入ったらしく、その侵入の形跡がわずかですが、残っています。枝豆まだ小さいのに食い散らした後がありました。被害はそれほどではありませんが、やはりショックです。老人の楽しみを奪う猿飛はけしからんやつです。
これはいけない、というのであわてて、竹棒を動かないように重い石をおいたりと、くふうし、なおかつかなりの面積の枝豆をまた別のネットで囲うという二段構えの専守防衛策をこうじました。
これですっかり疲れました。

このあいだのの大阪大学構内での沖縄での研究の講演のあとで、二、三の人たち(ベテラン研究者でしたが)から楽しい話を聞かせてもらいました、と言われました。このような言われ方はこれまで滅多になかったことです。もちろん嬉しいことです。
わたくしがたのしそうにしゃべっていると感じたのかもしれませんが、研究内容もだんだん楽しくなってきたはずです。
もっともっと楽しいはなしにならないか、とは思っているのですが。

秋葉原通り魔事件、すこし時間が経過してぼつぼつコメントなどがでてきています。
わたくしもおりおりに、会った人たちにどう思うかと、意見や感想を聞いています。
もちろんこの事件がわたくしには理解できないからです。この25才の凶悪犯の人間像と犯行にいたる心理的経過が飲み込めないのです。
それで今朝の新聞にあった藤原信也氏のエッセーを期待して読んだのですが、がっかり。自慢話的な話のつくりにもさらにがっかり。この人ももうもうろくしたのか、とおもいました。それともわたくしがもうろくしたのか。まあ、そんなことはどうでもいいのですが、やはりピンと来るものが全然ありません。したり顔がみえるだけです。

だいたい米国資本主義が入ってきて、若者を労働資源とみなすようになって、云々とあるのを読んでいったいなにをいってるのか、あきれました。
だいたいマルクスもチャップリンも大昔から、資本家は労働者をそんなふうに扱ってきてるじゃありませんか。なにも差はないでしょう。日本の資本家なんて同じか、場合によってはもっとひどいでしょう。

わたくしに言わせれば、左翼と労働組合の退廃が日本では一番問題だと思うのです。
わたくしも昔は、左翼や労働組合を元気よく非難していましたが、もうその非難する対象がいてもその姿を隠すようにしています。
日教組とか大学職員組合とかもっともインテリ的なはずの組合ですら、職場の中でほぼ同一の仕事をしながら、給与は3分の1の非正規勤労者をながらく無視してきたわけです。職場が退廃するのはあたりまえです。

わたくしたちは公務員試験にうかっているのだから、といって職場内の給与差別と身分保障差別に目をつぶってきたのですから、組合が今さら何をいっても信用をかちえるのは難しいでしょう。
正規社員や正規労働者からなる官公労や大企業正規社員の民間労組にいたはずの左翼や労働組合がこの非正規労働者問題にだまっていたから、経営者はだんだん非正規労働者の割合を増やして来たのだと思います。
とうとうここまで来て、国民の相当の割合が非正規勤労者となってしまって、政治家も不安になってきたのでしょう。不安の度合いは自民党も共産党も同じくらいというのが国情をあらわしています。つまり非正規労働者を味方につけられる政党はまったくないのです。
今回の犯人とこのような話がなんか関係があるのかどうか分かりません。でもなにかもやもやと関係があるのではないか、多くのひとはそう感じだしているのですね。
そういう意味では、最近死刑となった宮崎死刑囚ともちがうし、子供を多数殺傷した宅間ともちがい、なんらかの社会的メッセージがあることはまちがいありません。
つまり立ち止まって、日本の国情、日本の勤労事情を、日本の家庭事情を考える必要を多くの人たちが感じているのでしょう。

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