戦後60年 その2 Sixty years after the war 2

うるま市のセンターを出たのが午後3時20分で比叡山坂本の自宅に着いたのが午後8時50分、それから簡単に夕食をすませました。妻はまだ東京ですから、平素わたくしが座る椅子にふんぞり返っていた猫だけです。

昨晩は学長さんが(といっても本当に大学ができるのはまだまだ何年も先のはなしですが)、このIRPセンターの交流スペースで、若者たちに囲まれて時を過ごしているのを見て、やっと、この大学院も絵空事でなくなってきたのだな、と実感しました。

きょうは朝からユニットの研究のまとめを聞いて、いろいろ議論しました。萌芽的段階としてはいいのですが、まとめようとすると、まだまだアピールの程度は足りないかな、という気がします。でもまだ一年だから、いい線いってます。

きのう、戦後60年のことを書きましたが、それに付随してちょっとだけ続きを書きたいのです。わたくしも幼児の原体験が終戦で、それから60年いろいろ日本の変化、世界の激動をそれなりに経験してきました。結局、この60年間、折々にふれ日本の敗戦のことを考えてきたのですが、でもまだ答えが出ない、それが実感です。

Takahashiさんという方のコメント、わたくしにはお気持ちよくわかります。
「隣国との摩擦も、もっとも良質な政治指導者を含めて日本人がこの前の戦争についての総括ができていないことにより、うまく解決できないでいるのだと思います。これが戦争に負けることの辛さかと思いますが、隣国からの(私からみると)理不尽な要求を、逆に日本人が自分たちの思想を深めるよい機会にできれば、と希望しています。」

同感です。われわれの先を生きてきた人たちを攻める訳にはいきません。いわんやA級戦犯のせいにして、すべて忘れる去ることもできません。中国側は、「大多数の日本人は戦争犯罪人であるA級戦犯など軍国主義者の被害者であった」という理屈で、救いの手をさしのべてくれますが、その話にのって開戦の説明をして満足すれば。これからの日本の歴史は千年間誤ることになるでしょう。開戦時、世論代表していた新聞は当然のこととして、大半の日本人は開戦を支持していたはずです。A級戦犯に騙されたなどと言っては日本の歴史はおしまいです。彼らが戦争を強行したことは事実です、開戦に不利な事実を知ろうとせず、また知る能力もなかったことも事実だし、無能と言ってしまえばそれまででしょう。でもその人たちを指導者に持っていたのが当時の日本の実像であった以上、そのような指導者をモンスターとしてでなく、われわれの一部として認めることから、日本の歴史を書かねばなりません。

わたくしが、日本の歴史で一番うさん臭く思ってるのは、戦国時代と明治維新の美化です。どちらもドラマチックでたいへん興味深いですが、一方でたいへん権力的、政治的、血なまぐさい。ある意味で本当にぞっとするような時期です。この時期を愛好する司馬遼太郎氏を筆頭として、なぜ彼らは、第2次世界大戦の前では、足がすくんでしまうのでしょう。あれほどの残虐非道な織田信長などが平気で書ける作家が、満州事変や原爆を話題にして小説を書けないのか不思議です。だいぶ前のことですが、山口県、高知県、鹿児島県、佐賀県と明治の元勲を生み出した、地域をまわったことがありますが、地方としての魅力はもちろんありますが、産業、経済的にもっとも後進的になってしまったのはなぜでしょうか。わたくしは、そのときにかなりはっきりした回答を自分なりに持ち、それいらい明治維新には確信犯的にマイナス面を探し出すようになりました。いっぽうで、わたくしは多くの人がきらいな徳川家康を「平和江戸時代」を築いた偉人と思うようになってきました。

わたくしの仮説は、日本が米英を敵にして大戦をたたかうはめに陥ったのは、明治維新の大成功にあると言うものです。

あくまでも仮説ですが、日本が明治維新以降、「荒々しくなり」、「戦争好き」になり、米英と言う世界の覇者にまで立ち向かう「狂気」を実行しようとまで思うようになったのは、朝鮮を攻め、唐の国の首都にまでいこうとした豊臣秀吉の血を受け継いだのかもしれません。昭和の指導者が家康の十訓を本気に信じていたら、とおもいます。

国民作家であり、わたくし自身もかなり愛好してよんだ司馬遼太郎氏を批判するのは気が重いのですが、かれがなぜ第2次大戦を書けなかったのか、明治の元勲と言われる人々の愚かさと血なまぐささを書けなかったことと裏腹ではないでしょうか。軍国主義こそ明治維新のもっとも直接的なスローガンではなかったでしょうか。

わたくしは、明治から太平洋戦までの歴史を、たくさんの人たちが自分の信じる形で書き直す必要があると思います。戦争を体験しなかった世代が、最も優れた歴史家になってほしいという強い願いもあります。

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