来週水曜日の午後には京大の百周年記念ホールでの講演会で話題提供をせねばなりません。講演会は「研究の自由における倫理」なるものでして、法学部の位田先生がコーディネートなされるので、もちろんしっかり堅いです。
この講演会は、京大連続公開シンポジウム「倫理への問いと大学の使命」なるものの三回目でして、わたくしの柄でないことははっきりしています。
いっそのこと、おもいきり柔らかくやるか、という誘惑にかられています。
むかし、落語を聞くのが好きだった頃、ラジオ放送のない日の寄席には噺家がサービスして発禁ではなくてもかなりきわどいお話しなどしてくれたものです、そのたぐいでいこうか等と、考えたりしています。もちろんわたくしの柄の範囲でしかできませんが。ところでわたくしの演題は「生命倫理への挑戦は研究の自由を拡大するか?」なるものです。演題を決めたのはずいぶん前で、その時はどういうつもりだったのか、メモも書いてないので分かりません。
法学の教授のかたが「研究はだれのものか」という気になるタイトルで話をされます。
おまえのものではない、とたぶん言われるのでしょうね。
他の講演者をみて、軟派でいくと甚だしく場違いになるか、それでもいいか、迷っているところです。
フランス行きSさんの協力もえていくところがどういうところか分かってきました。ボルドーからさらに西へ、砂丘でも有名で食べ物もおいしいので有名とか。嬉しいことです。いくのなら、世界遺産のサンテミリオンにもついでにいくべしとは、別な東京におられるSさんの示唆でした。帰り道、数時間でも寄れるらしいので、考えます。ユーロが高すぎてワインのショッピングはあきらめですが。
帰りは英国による計画があったのですが、時期が近くなると、仕事が山積みされているのもはっきりしてきて、どうしたものやらと思案しています。ぜひ来ないかとはいわれているのですが。
ロシア首相のプーチンが激しく怒って、米国の陰謀でグルジアが軍事行動をしかけてきたといっています。一分か三分の真理があるのでしょう。でもロシアに同情する国はほとんどないでしょう。日本からは遠い国の問題とおもっていると大間違いかもしれません。
第一次大戦も例のバルカンの小国での出来事からはじまったし、現在はユーラシア大陸の中央から周辺あたりにたくさんの新たな発火庫がありそうな気がします。アフガニスタン、ウイグルは当然近いとして、グルジアもそこからは遠いようで意外に近いのではないでしょうか。ウイグルはもう内乱戦争状態とか。島国の日本にはわかりにくいのですが、大陸の地続きというのはつながりはホントにつよいものです。韓国のソウルでのアンティークショップで見たものは日本とは全然違うものでした。まさに大陸と地続きなのです。
トルコにいったときに、田舎の光景の一部がインドの田舎によく似ているのでびっくりしたものです。アレキサンダー大王の時から、たぶんもっともっと昔から、文化的に強くつながっているのでしょう。