また下がった株価、研究稼業は知的格闘、けものみちのような道

株がまたまたどんどん下がっているようです。
世界中ですが、それほど影響がないと言われた日本もひどく下がっています。なけなしの財産を株に投入して老後の生活費にとおもっていた人々がいれば、相当なショックでしょう。円高なので、日本の経済全体にノーを突きつけられてはいないようなのですが。韓国は株も下がるし、通貨もさがるし、かなり暗いようです。これから、どうなるのでしょう。まだまだ株はどんどん下がって、いまの半分くらいになるのではないか、なんとなくそう思います。理由はありません。株の将来は誰もあてられないようなので、予測は気楽にできます。

さいきん研究者稼業は知的格闘業だなと、またよく思うことが多いです。

本来は研究は自分の興味にもとづいて好きなようにやるのが理想ですが、三度のごはんを食べて家族を養うためには、生きるための格闘の連続だなとおもうのです。

特に論文書きなどは、その感が深いです。
本当はもうすこしゆっくり待ってデータを厚く深くしてからがいいとしても、競争相手の動向や、研究費が切れたり、自分の職の任期が切れることを考えたら、どうしても論文を発表せねばならない。場合によっては非常に急ぐ必要がある。
そのためには、知的なパワーと、腕力がいるし、なによりも遂行能力が試される。
他人あっての自分、競争者との比較でしか、職や研究費が獲得できないとすると、生きること自体が格闘のようなもの、見えない相手との格闘にもなるのです。
つらいし、本来の研究とは違った目的の生活になってしまうおそれがあるのですが、これを避けては生きていけない。
よほどの才能とか運とかに恵まれないと、この格闘から逃れることはできない。

わたくしももちろん無関係ではなく、特に定年以降はますます格闘が必要になってきた感が深いのです。

それじゃ、格闘に敗北したひとはどうするのだ、という質問があるでしょう。
それがもちろん問題なのです。マクロには相当数のひとが結果格闘に負けて、職を失っています。別の世界にうつる人たちがたくさんいます。行く場所も多種多様です。
うつれない人はどうなるのか。
個別に考える以外しかたがないのです。この人はこうした、あの人はこうした、というケースのお話しがたくさんあります。それほどいい話はありませんが、千夜一夜くらいは続けられるでしょう。そういう意味では研究の世界は豊かなのです。ジャングルの細道のように心細いけれども道は沢山あります。けもの道のような道ですが。

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