年齢差別ハラスメントについて

けさ、駅に着く前の交差点で、あの落ち葉マークだかもみじマークだとか言う後期高齢者の車が目の前を通りましたが、運転手はだれが見ても二十代の若者でした。
このマークは、つけないと罰金とかいうはなしで、年齢差別ハラスメントの最たるものだなと思いました。だいたい高齢者だと強制的に周囲にしらしめることがハラスメントのうえに、犯罪などの対象となりやすいことを考えたら、とんでもないことを日本の政府というか、行政はは高齢者にしているとおもうのです。家の前に駐車してある車にこのマークがあれば高齢者がこの家にいることを知らしめる点でも、本当にけしからんのではないか、つまりドイツやポーランドがやった、この家にはユダヤ人が住んでいるという印章とかユダヤ人につけさせたダビデの星の腕章に匹敵するのではないか、こういう議論がまもなく始まるような気がします。

というのも昨日のC.Booneさんとの個人的な雑談でも、やはり年齢差別が非常にいけないことだという意見が北米を中心に強く出てきていることが話題になりました。
セクハラ、パワハラ非難に匹敵する勢いだとおもいます。
そのうち上司が年齢だけを理由にして部下を不利に扱うと、訴訟の対象になるだろうとおもわれます。落ち葉マークなどはもちろん言語同断、ということです。

わたくしも米国での経験からもう何年も前から、年齢に対しては、若かろうが年寄りだろうが普通の会話では非常に気をつけています。相手が年齢をどんどん話題にしたときだけ、わたくしもそれに乗るようにしています。
自分が年をとってきたからそう思うのでしょうが、年齢差別たしかに非常に怒りがわくこともあります。なんで年齢でそんなに差をつけるのだ、あほったれ、といいたくなることがあります。
だから、映画館無料だから、いこうよ、とかいう妻の誘いにも聞こえないふりをしています。美術館で割引料を喜んで払おうとしているときにはなるべく遠くにいて関係無いかのようにしています。
でも本当のところこの年齢ハラスメントにはかならずすぐにも反論が出るところがおもしろいのです。わたくしも、年取ってボケボケになっているのがいつまでもいたらみんな迷惑だろうし、とかつい言ってしまうことがあります。年取って→ボケボケ、という論理は常に成立どころか、たいていの場合はそうでないので、おかしいのです。
そう言ってしまうのは、高齢者は動作が緩慢だし、言語も素早くないので、そう見えるのでしょう。素早くしゃべる教授やマネジャーが実際にはボケボケよりももっとひどいくだらんことを言ったりやってることが多いのです、本当のところ。そう言うこと、最近よくあります。
高齢者はなにか言うのに時間がかかるけれども、耳を澄ませて聞いていると、ひと言で本当にいいことを言ってる場合がおおいのです。

ともあれ、年齢ハラスメントをする人間にはこれからすぐ指摘してやろうとおもったことでした。
セクハラでも同じで、同じ言葉をいっても相手によって年齢ハラスメントにならない、というふうになっていくに違いありません。優しい気持ちで年齢を話題にしていたら、気にならないのですね。

タイトルとURLをコピーしました