昨日の続きですが、本当のところかなり気になっているのは、海外に長くいるわたしの知る若い人たちのなかでだんだん英語のプレゼンテーションが下手になっているケースがわりあいあるのです。うーん、なんでなんだと、思うくらいにプリミティブなプレゼンテーションで呆れてしまうことがあるのです。外国に十年も十五年もいて、年々下手になるのはいったい何故なのでしょうか。
英語に堪能な日本人を作るはずが、これじゃ逆な結果になってます。
たぶんマンネリになって、注意深く自分のいいたいことを正確にいおうという努力が足りないのでは?とも思えるし、生涯学習のつもりでいつも改善に努めるとか、海外に生活しているのだから、そうじゃなくちゃおかしいと思うのです。
一方で、海外に10年も居て帰国して、プレゼンテーションがすごい勢いで劣化している人たちも知っています。
こういうケースを詳しく吟味しないと、日本人の英語力の改善など絵に描いた餅になってしまうのでしょう。わたくしが疑っている原因は、こういう人たちは込み入った内容の英語をしゃべるのを面倒くさがっているのだと思っています。
きょうは月曜の講演の準備を本格的に始めました。よく見たら、午後6時15分から8時とあるので、討論時間を考えても75分程度の講演時間があるので、たっぷりあるのはいいのですが、これを退屈させずに話しきるのは至難の業です。
よくポスター見ると、会費とあって、500円とあります。しかし、括弧して医師のみとあります。わたくしの話そのものに金を出すのでなく、軽食でも出るので、その料金を医師からはとるのでしょう。なにか経理事務上の理由なのでしょうが、ラボの医師のF君はポスターを見てぶつぶつ言ってました。医師じゃない、といえばいいじゃないと言いましたが、それはさすがに出来ないのでしょう。
昨日帰り道、本屋に寄って、日本語の未来だか、将来だかの本を買おうとしましたが見あたらず、その代わりに石原慎太郎氏の偉大な日本人とかいう本を買ってしまいました。こういうタイトルはあまり好きではありませんが、でもその中の一人に岡本太郎があったので、読みたかったのです。電車の中で読みましたが、同感でした。ただ、格段に切れ味が鋭いということはなく、岡本太郎は偉大にして天才(わたくしもまったく同感なのですが)と思って、彼の人生をみれば同じようなところが見えてくるのだと思いました。
ただ、中でわたくしがおもわず快哉を無言でつぶやいたのは、某芸術大学学長だったかのえらい(と本人と周囲がおもうらしい)絵描きを偽善者ととしてこっぴどくやっつけているところで、わたくしもこの人物は売名のインチキ徒として、聞いてくれる人がいないので、自宅で妻が聞こえるところで、この人物の記事がでると悪態をついていたのですが、慎太郎氏もそうだったのか、とここがいちばん嬉しかったです。くだらない、話ですみませんが。
自宅にもどると、妻はいつものように娘とチャットをしていましたが、わたくしも参加しました。娘が仕事で、日高敏隆先生にインタビューしたという話を聞いて、懐かしく思いました。奥さまも一緒だったとか。そういえば長いこと日高さんにお会いしてないです。娘によると、立派な勲章をもらったようです。
娘のところもとうとう子どもの送り迎えがたいへんすぎて、車を買ったとのこと、ここまで無しで頑張ったのだし、立派なものでした。
追記になってしまいましたが、インドムンバイでの同時テロ、ひどい事件です。写真にでている、豪華ホテルは覚えがあります。観光名所で、お茶を飲んだ記憶があります。
100人も死んで、数百人が怪我、非常にいたましい事件です。インドもヒンズー教徒だけではありませんから、かなりの回教徒もいるし、社会的にボラタイルな部分は相当あるわけです。出生率も圧倒的に回教徒が高い、とわたくしの知り合いのインド人達はよくいいます。でもインドは民主国家なのですから、この苦境を乗りきる民衆の知恵がでてくるはずです。