この国民あってのこの大新聞、昭和50年の頃の鴨川

大新聞トップ記事は少年が1億円賞金のゴルフプレヤーになったというものでした。天下太平です。首相と野党党首の討論などはずっと低い価値なのでしょう。あまり出ていません。面白くなかったのでしょう、たぶん。
ムンバイでは依然激しい銃撃戦が行われ、タイの2つの空港では座り込みの人たちが死ぬまでここで頑張るという様子、もうすこしこの辺に関心持ったらと、思うのです。
すこしノー天気が過ぎると思うのですが、記事もやはり国民の要求があってのものでしょうし、この国民あってこその、この大新聞なのでしょう。

しばらくぶりに、理髪へいきました。
隣に座った男性は、元気がよいひとでした。帰られた後で聞くと、もう80ははるかに超えているとか。宝ヶ池に競輪場があって、そこまで市電が行っていたという昔の話を尋ねたら、話がはずみました。その頃は競輪の日は花火があがって、子どもが花火の一つに落下傘があって、これを拾うと賞金がもらえるとかで、みな川に入って、拾おうとしたとか。川とは髙野川のことでしょうかね。市電の始発の駅がどこか、聞いたのですが、忘れました。昭和50年くらいまでは、何百匹も魚が簡単に釣れたとか、三条の橋のしたでも鮎がごっそりとれたとか。いまは全然いないとの話しでした。わたくしも、昭和47年には京都で住みだしたのですが、そんなに魚影が濃かったとはまったく気がつきませんでした。

月曜の講演準備、まだ終わりませんが、おおかた進みました。
でも週末、月曜直前まで、かかるでしょう。
やはりこういう準備は大変ためになります。いろいろ忘れていることに気がつきます。
ためになりすぎて、なんか切ないような気持になります。ヘンなものです。
しかし、われながら、えんえんと現場人間をつづけているな、あきれる気持もあります。
月曜から、インドからふたり来訪滞在します。RM君は実験をしに、もうひとりの学部学生の若者のほう(まだ名前をちゃんとおぼえていません)は6週間の期間でなにかコンピュータを使ったプロジェクトをやる予定。

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