風邪を引いてしまいました。ラボの皆さんが引いた最終段階で感染したみたいです。
実験室居住の皆さんは、数日前に風邪のピークがあり、このオフィスのほうでは、わたくし、Fさんと秘書のSさんがほぼ同日になったようです。症状はほぼ同じ、のどがいたい、咳がでるなどなど、そっくりでした。わたくしも日曜から急速に悪化でした。けさあたり、随分咳が出ました。うつらせてはいけないのでマスクを買いました。
風邪がそこまで悪くなる前の金曜の夜に帰りがけに買って読んだ本ですが山谷の町で暮らした青年と政治家秘書で逮捕されて罪を認めなかったので長いこと拘置されていた女性の本、どちらもそこそこ面白いのと共通点がありました。つまり、肉体的な激しい拘束によりかえっていい意味での人間性を回復させていくことです。この山谷の青年は怠惰でどうしようもない学生だったのが、肉体労働を繰り返すうちに健全な精神が生まれてくる経緯が明確に書かれていました。
きょう、ちょっと書きとめておきたいことはグローバルというのは、進歩を象徴する素敵な言葉としてここ数年使われていたのが、昨今のように経済情勢がなってくると、ダーティワードの筆頭になってしまったのかもしれない、という感想です。
グローバル、つまり地球規模での即時性、近接性なども、マネーゲームの結果を見れば、グローバルであるがゆえに被害が甚大になったともいえます。人間の果てしない欲望がグローバル化と一緒になると災厄のようなものが地球規模でおきるからです。
ある地方でのみとどめられたはずの風土病のようなものが、人間の行き来のグローバル化で世界中での病気を生みだすと怖れられるわけです。
そもそもいちばんいけないのが、そんな簡単に世界じゅうのことが分かるはずがないのにネットなどのグローバル化でなんだか分かってきたかのような錯覚が起きてくるのです。
わたくしは外国のことはなかなかわからない、特に政治などは本当にわからない、という意見をもっているのですが、米国人を筆頭に世界の政治がよくわかる、そして民主主義こそ世界中にひろめるべきもの、というグローバル化の意見を言う人たちがおおいのですが、いいかげんそういう意見は引っ込めた方がいいと思うのです。
例えば、日本でなぜ共産党や公明党のようなものが長年にわたって一定の支持をえているのか、グローバル化的発想ではとうてい説明できないでしょう。共産党や公明党がいるんだから、いっぽうでそれとは考えをまったくことにする人たちがある程度いても当たり前で、こういうものをグローバル化的発想で無視したり一刀両断にしたらそんな地球にはぺんぺん草も生えなくなるでしょう。