沖縄のほうからの連絡で、むこうのほうにシンガポールからのシンポジウムの招待依頼が来ていました。日取りを見ますと、イタリアでのシンポジウムとうまいこと数日ずれていました。アジアの優れた研究者の発表ということなので、行きたいと思いました。もちろん沖縄での研究を主体に発表しましょう。来年は、中国の北京と上海に呼ばれています。それにスイスでの会合があったはずですが、まだ日取りが決まってないようです。それに米国に一回行きたいと思っています。分裂酵母の国際シンポジウムは東大の山本さんのお世話で秋にあるはずなのですが、まだ日取りが頭に入っていません。沖縄で主催するワークショップもそろそろ考え始めなくてはいけません。
年の瀬、教育問題を一つのアングルで考えてみましょう。数日に分けて短く書いてみます。
わたくしのように年をとった人間が教育を考えるうえで、自分の強みと弱みを自分が受けた教育の観点から考えてみるのも悪くないでしょう。
わたくしが都立高校に入学した頃は、受験がたしか9科目もありました。うち記憶が正しければ、国社数理英の五科目以外に、職業家庭、保健体育、図画工作、音楽が4科目あったものでした。わたくしはこれら4科目をやったことが、自分にとっては非常に為になったと思っています。
わたくしは職業家庭がかなり好きでした。ぞうきんを手縫いするとか足踏みミシンの仕組みを学ぶとか、なかなか家ではやらないことも学校で強制されたかたちでやったおかげで、身についたものでした。他の教科も入試問題があったせいで、勉強もしたし、教養も身についたのでしょう。
何を勉強したのか、もういちど教科書も見てみたいものですが、こういう4科目で入学試験問題を作るのもさぞたいへんだったでしょう。いわゆる資格試験的な問題だったのかもしれません。
でも高校入試の受験勉強のおかげで、生きるうえでの基礎知識をたくさん身につけたにちがいありません。わたくしがセカンドハウスでガーデニングのみならずいろいろな生活周辺の作業を不自由無しにできるのもこの中学校での教育のおかげと思われます。大工さんの作業みたいなもののミニマムも学んだような記憶があります。
だからといって、いまもういちどそういう教育を中学校でやれなどというわけではありません。しかし、そういうことを中学頃にまなぶことがとても良い全人的教育であるのに違いありません。自分ではそうおもいます。
むかし院生のM君だったか、リンゴだったか、柿だったかむいているのを見たら、芸術的というかあまりに見事なのでどうしたのだといったら、子どもの頃に家族全員の作業としてやっていたとのことでした。たしかに彼は実験も非常に上手でした。いっぽうで,正視できないほど下手というか、果物ナイフで指を切断するのでないかというほど、下手な院生もいました。その危険な手つきの姿はいまでもはっきり憶えています。