今年初めての雪、社会科の先生はたいせつ

今年初めての雪が朝降っていました。
でもラボに来た頃にはやんで、いまは日が照っています。
きょうは大掃除、初めてのこころみで業者の人に来てもらって、床をきれいにしてもらっています。さすがプロ、見事なものです。もうすぐわたくしの部屋になり追い出されるので理髪に行こうと思っています。ゆうがたは早めに帰って、家で鍋でもたべるという段取りになっています。週末はまだ仕事をして、来週の月曜のゆうがたから、年を越す作業をわたくしなりに始める予定です。

きょうは社会科の先生が日本にとってとても大切、という話題です。これもわたくしの体験からです。
そもそも子どもがなんらかの自分観と社会観を持ち始めるのが4才くらいでしょう。幼児の原体験とかいうのもだいたい4才でしょう。保育園とか家で大人の言ってることが違ってると、それなりにどちらが正しいかどうか判断を始めて、小学校にいく頃にはそれなりの社会観、倫理観を持っているはずです。家での情操教育、しつけ、これは圧倒的に重要ですし、それに保育所幼稚園も含めて地域コミュニティーの影響も大きい。
そのうえで小学校にいくわけですから、小学校の先生が社会科を教える頃には、子どもはいっぱしの考えを持っているに違いありません。
そうだからこそ、社会科の先生は大切なのでしょう。人柄から始まって、知識それも紙の上だけでなく、実人生からくる社会観、問われるわけです。
もちろん小学校では多くの場合は、担任の先生が社会科を教えるのでしょうし、それほど社会で問題になるような難しいことをでなくても社会科に類したことは、たくさん教えることがあるのでほとんどの子どもも親も先生もあまり問題にしません。
しかし、社会科をどう教えるか、どう考えるか、その真剣さがのちのち大きな違いを子ども達の実人生にもたらすはずです。
ですから、わたくしは社会科は非常に大切、教える先生の態度も前向きで真剣、こうであってほしいと思うのです。
偏向教育でも非常に熱心、情熱込めてやるのならそれなりにいい(?)ものです。
わたくしなども子どもの頃から、この先生はえらく偏向しているな、でもなんであんなに情熱的にしゃべれるんだろうと、その先生を見ているだけでも社会科教育になると、思ったものです。小学校の時のコッペ先生は午前ちゅうにお腹が減って、子どもや先生の目を盗んでコッペパンを食べてしまう、口ひげを生やした先生で、この先生が道徳の教えをもごもごと口ごもりながらやっているので、面白くも悲しいという感情を味わった初めての社会的経験でした。
子どもは大人にもヘンな人やおかしな考えを持ったのがいるというのは先刻承知のはずです。親だって、先生の批判を家でしているはずです。だからこそ、社会科のように自分をさらけ出さないと、何が社会正義でなにが歴史の真実か教えることは困難でしょう。社会科を教える先生は熱心に社会正義なるものについて、語れれば、わたくしはそれで大半の欠陥は許せると思っています。シニカルなものの言い方をしても、心の底で社会正義の存在を信じていればそういう先生も、悪くないものです。
そういうことを、わたくしは小学、中学、高校での社会科の先生との授業でのつきあいから学びました。

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