不義理の集積

ことしは特に時の経つのが早いです。
あれもこれもとやろうと思ってると、もう週末です。
きょうは沖縄から二人に来てもらって、外注していたデータの検討のしかたについての細かい相談をしています。夜は一緒にメシでも食べにいきましょう。

来週はこんどは月曜からわたくしが沖縄にいってラボメンバーの進捗を聞くことになります。
2009年、世界も日本もたいへんでしょうが、わたくし個人もたいへんです。
アヒルの水かき的なたいへんさと見かけのたいへんさと両方やってきます。
しかし、研究者としては自分はお釣りの時期に入ってることは強く自覚してます。
ある方向に自分の人生をどうしてもねじ曲げたいという気持はありません。

しかし、いろいろやらねばならないことが多くて、一部のことはどうしてもできなくて残されてしまいます。
昔気質的な人生観から見ると、人生とは結局不義理の集積のようにも感じてしまいます。
昔気質の人生観は懐かしく素晴らしいとおもいつつ、自分はきちんと実行できないので、なんとか仕事につぶされずに生き延びていますが、でもそれを感ずるレセプターはありますので、おりおりに不義理の集積を強くかんじて人知れず深いため息をつくことがあります。

オバマ新大統領はイスラム世界といかに向き合うか、期待されているようです。かつて住んだことのあるインドネシアにいって、最大のイスラム国で、融和的な演説をすることが期待されているようです。
彼の、就任演説で米国は色んな宗教の人々がいるというのを列挙した中で、仏教も儒教も無かったのですがキリスト教のすぐあとにイスラム教がきていたのが印象的でした。キリスト教国とイスラム教国が融和される方向に向かえば、いいのですが。
ところで義理とはキリスト教国の持つ英語では、duty, justiceが訳だそうです。義理堅いがloyallyとかfaithfullyだそうです。このfaithfullyがわたくしには一番ピッタリくるのですが。でもこの訳ではduty, obligation,loyally面が希薄かなとはおもいます。

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