おきなわ晴れ、国際誌編集からみる日本人研究者気質

あさから晴れ晴れとしたいい天気、この時期おきなわでなければ味わえないような気分のよいさわやかな暖かい日です。しかし、この天気をあとにして、出発せねばなりません。たまには観光もしたいな、と思うのですが、思うだけでもう5年経ちました。この間、いちど週末に島北に出かけただけです。
日本サッカーまたバーレーンに負けました。アジア大会ですが、結構深刻ではないでしょうか。岡田ジャパンかなりの危機でしょう。
わたくしは岡田監督に才能というかひらめきをまったく感じません。
人気がないのも当然でしょう。前監督も人気をまったく無視したので、サッカーでも人気が非常に大切という当たり前のことが忘れられて久しいです。
そのうえ弱いのでは、もう論外でしょう。
オーストラリア戦が負けるようでは、もう監督のすげかえ必至とみています。

午後から夜にかけて東京で研究の話を理研のM君とそれから雑誌の将来について関係の先生と話し合う必要があるのです。

わたくしが編集にかかわる国際誌の任期は自ら決めている期間がもう終わったのですが、次のかたがまだ決まっていません。できるだけ早く決めてもらって雑誌の面目を一新してほしいのです。決まらなければ、退任できないので今年の目標の一つは、後の方が決まるための努力をわたくしなりに一生懸命せねばならないことです。日本人研究者にとって非常に大切なジャーナルになったと思うのですが、かならずしもその考えが共通なわけではありません。
編集をやってるあいだに、気がついたことがあります。
そうじて日本人のレフェリーはコメントがきびしいんですね。そして、論文著者への要求がきつめであることに自分で気がつかない、こういうタイプの傾向が強いことです。ときたま、個々の編集者がハンドルしている、論文に対するコメントをみて感ずることです。しかしコメントは悪意にもとづいていませんから、しかたがないかな、といわざるを得ません。
このジャーナルの人気がもう一つ上がらない原因も実はこのあたりにあるようです。つまり、真面目に対応すれば最低3か月、下手すると半年かかるようなコメントがあるので、このクラスのジャーナルでそれだけの努力をする価値があるのか、そう思う論文の投稿著者が多いようです。直接何人もの人たちに言われました。しかし、いろいろな編集者がいるので、一様には対応出来ません。編集長というのはトラブル時に出動するのが本務と思っていますので、通常的なところには決して口を出しません(わたくしのポリシーです)
外国人レフェリーからいわれたら我慢できるのに、日本人レフェリーにいわれたら、我慢できないこういう傾向もあるのは事実です。
また著者たちが急いでいるのが、ありありと分かる時には、きつめの長期の時間のかかるコメントには著者はいったいどうするのだろう、と心配になることが多いものです。

国際誌編集というのは、ある意味で人気商売でして、それも水商売に近いものです。一週間も一つも論文投稿がなければかなり心配になるような意味での水商売なのです。国際誌の人気はもちろん論文をちゃんと読んでくれてなおかつ反響があれば高まるのですが、一方で速報性も評価されます。わたくしが関わるこの雑誌は、国際誌とはいえ日本人著者の論文がまだまだ圧倒的に多いし、インパクトファクターという定量性から見ても世界的なランクは中堅どころでしょうか。よく読まれている割に、引用度がそれほど高くない。こういうところです。この状況をあらためるには、編集長を変えるのがいちばんてっとり早いとわたくし自身は思っているのですが。

日本人の著者の特徴は自分の論文の引用が一般的に上手でもないし、またみずからの引用頻度が低いのです。つまり自己宣伝をしないのですね。名誉か不名誉か知らないのですが、わたくしが関わるこの雑誌の著者の自己論文引用頻度はもっとも低いと、出版社からいわれています。それで最近は極力自己引用を高めるようにお願いしているのですあまり効果はありません。日本人の通性なのでしょうか。
日本人の研究者は自分がレフェリーになると、職人的良心性にもとづく意見が多くなるケースが多いようですが、これはある意味で世界の中での日本人のおかれた立場を物語っているようです。
つまり日本の研究者の社交性の低さの現れかもしれません。

東京に着いたら激しい雨でした。

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