どういうときに内省的なムードになるかというと、朝の通勤時の電車に乗っている時などですか。でもすぐ10分も経たないうちに乗り換えになるので、切れ切れになりがちです。仕事を終えて大学を出て家に帰る時間もおりおりに内省的ムードで過ごせるのですが、大抵はかなり疲れていて考えも深まりにくいのですね。なるべく軽くて簡単な事を考えたくなります。時間がかかる乗り物に乗ってしまえば仕事中毒のわたくしとしてはなにか仕事をしてしまいます。家にいても一人になることはそうありませんし、家でもやはり仕事をしてしまうので、自然に内省的になる時間というのはあるようでそれほどない。ただわたくしの場合、ごく短時間でもいいから、そういう気持ちになるようにウイークデイは努めてそういう機会を掴まえて考えるようにしています。そういう意味ではラボと家の間の1時間、往復2時間はわたくしにとって、極めて貴重な時間になります。それから今朝のように沖縄で朝を迎えて朝食後センターに行くまでの1時間半くらいもとても大切な時間に思えます。
そういうときにいろんな事を考えます。やはり仕事上の事を考えることが多いのですが、不思議なことにそういう事を考えだすと、今頃比良山麓の畑の野菜はどうしてるかなどと、付随した余計な想念が湧いてくるのですね。ヘンですね。この間の日曜日キュウリが曲がってるのが多かったから、すこし液肥を今週末にはあげないといけないかな、などとかんがえると、ところですこし元気づけしてあげないといけない院生はだれかな、などと当の院生にはキュウリなみで悪いのですが、連想的にある院生の顔が浮かんできます。ここ数ヶ月、半年のその院生の仕事の経過を思い起こして見るのですね。どうするべきか、本人を前にして話すよりはずっと客観的に研究の経過が一瞬にして見えてくることがあります。インスピレーションとでも表現出来る事があります。その新しい考えは単なる考え止まりの事も多いですが、役に立ちそうな時もあります。いろんな考えを前もって掘り起こしておけば、当人と後にデータを前にして話すときに、議論も深まりやすいのですね。わたくしとラボメンバーの仕事上のやりとりは短い場合が多いのですが、それでもわたくしが前もって彼等の事をどれだけ考えているかは、彼等は知らないとおもいます。これも何十年の習慣となっている事ですからわたくしにはなんの努力もいらないことですが。
わたくしの考えるうえでのトレーニングはやはり学生時代に哲学を自分流にかなり勉強したことにあるのかな、と思います。いろいろ遍歴はありましたがフランスの百科全書派、代表的なのはディドローでしょうが、かれらの書物を漁った時期に自分の考えのかなりの部分は出来たな、と思います。かれらの信条は素直にわたくしの信条と一致していてその後何十年間も一度もぶれずに親近感を持ち続けてきた、人生を生きるうえでの根本的な考えを作りました。唯物的な思想や英国流の経験的なものの考えに深く影響されたこともあり、特に後者はわたくしが実験科学者としての人生を歩んでくる上で非常に大切なものでした。しかしまだハイティーン時代の人生をロマンとして考えたい若者としては百科全書派の燃えるような理想主義は気持ちにもぴったりだった。感覚、情念を重視して経験主義をとりながら、理性をすべてに優先するという思想はなんともいえず見事な生きるうえでの指針を与えてくれたものでした。考えることでは理系の学問は絶え間なく思考を要求されて頭のどこかを深々と使ってるはずなのですが、いくら使っても、生きるうえでの指針をなかなか得ることは出来ません。わたくしには哲学しかそのようなものを得ることは出来ませんでした。若い頃は頭のバラバラのところにしまわれていた知識や体験が年を経るに従って混ざり熟成するのでしょうか、いまのわたくしの頭の中では、みなつながったものになっていますが、それぞれの起源を考えれば時期も場所もそれぞればらばらに学んだり体験した事であることに気がつきます。
さてきょうは、やはり海の道で昼食をとりました。引き潮がすごくてこれなら歩いて昔の人が島へ渡れた話しも本当かと思えるほどでした。素晴らしい快晴で海は透き通り見える山々の緑は非常に濃かったです。
わたくしはまた、もずくを沢山買い込みました。それに例の黒糖あがらさーなど。