わたくしの研究生活もながいのですが、最近は自分の推進する研究が途上状態、つまり上り坂にいることを痛感します。
こんな感覚は、40才の頃に戻るような気がします。しかし、体はもう立派に前期高齢者ですから、あたまのボケ加減で、現役のみなさんと真っ向勝負することになります。
ふたつのラボを現役でない老ポスドクのわたくしが経営しているという、図式なのですが、なぜふたつもラボを経営しているのだ、けしからんという声は聞こえないわけでもありません。しかし、そんなものアホやと陰でうそぶいています。
山紫水明の京都に拠点があるからこそ、沖縄の研究が二皮も三皮も向けているのだ、ということにわたくしの周囲、とくに沖縄側の行政側では理解してくれないようです。いなかのおねえさんが、京都に三ヶ月もいたらたいへんなぺっぴんさんで帰ったなんて言う、たとえを言ったら誰かにとんでもなく怒られそうですが、しかしわたくしの実感はそんなものです。沖縄のあの環境だけで世界トップの研究するなど、至難のことです。京都と言ったり来たりしてくれる、沖縄研究室のメンバーたちは本当に幸せだし、色んな刺激をうけてそれで京都に一度来ていろいろ話したりするだけでも、数ヶ月はいい影響が残るのです。京都にいながらのんべんだらり成果もあげられない連中などは本当にタカラの持ち腐れなのです。
わたくしなんか、20代で英国ケンブリッジで、全部で3か月しか研究しなかったのに、40年後のいまもその影響で現役の最前線をはっていられるのです。
そんなときに、あなたの京都と沖縄の勤労の時間割はどうなっているのだ、前もってパーセントをきちんとせえ、さもないと絶対許さない、などと言われると、わたくしの研究をあんたらは妨害しようとするのか、といいたくなります。
だいたい、一週間に40時間働く人と、一週間に70時間働くひとの、勤労時間%などを提出させてそれでどう比較しようとするのだ、といいたくなります。
いわんやこの時代、わたくしが比良の家で朝から晩まで、沖縄で出たデータをああでもない、こうでもない、とやってる時間をどう割合に入れるのだでしょう。京都や沖縄でやっている仕事はいまや渾然一体、一日最低12時間働くとして、内訳など考えてやるはずがないでしょう。自然に働いているもので、それで朝が明け、夜がくれるのです。
外国に行って今日は、京都の研究の発表、あしたは沖縄の研究の発表、明後日はごっちゃの発表、こういう時はどう割り振るのでしょうかね。そんなことをやっていたら、立派な人事担当役人か社員にはなれとも、いい研究など出来るはずもありません。
世の中、衰退に向かうと、こういうものがはびこりますね。沖縄の研究はまだ始まったばかりで、衰退するにはまだ早いのですが、公務員叩き、税金の無駄遣い叩きの風潮が高まると、内閣府あたりの組織末端ではこのようになってしまって、わたくしのようなへんな人種は目のかたきにだんだんされていく、という実感をもつこの頃です。
目のかたきにされても別にいいのですが。今を生きているわたくしとしては。