もうすぐ、空港に向かいます。それまでの時間にこのブログを書いてしまいます。
中国から帰ったあとに、おりおりに今日のタイトルのような言葉が頭の中を去来します。
しばらくは、ふたつの国をついつい比較したくなるのが続くのでしょうか。
わたくしなどはライジングジャパンの時期に、青年期を過ごしたのでどうしても今の中国人の生活にいっぱいいっぱいの様子にシンパシーを感じてしまいます。欠点はまだまだ沢山ある中国の欠点をあげつらうよりは、思いのほか、きちんとキャッチアップしてきているという、そして勢いを持って隆盛化に向かっている、そっちのほうに考えがむいてしまいます。
いざとなったら、強権国家の姿は見せるでしょうし、どんなに庶民があくせくしても、政治行政機構が大失敗をしてしまうという可能性があるかもしれませんが、民主国家の日本のほうがずっと閉塞感が強いとう印象を持ちました。
印象は多岐にわたるのですが、なぜ日本を衰退的と感じているか、ちょっと一つ話題をあげてみましょうか。
それは、やはり日本が消毒国家というか保健所国家的色彩を帯びてきているのですね。
ばい菌はみな殺せ、そういう感じが国全体を覆っているような気がするのです。
罪に対する、罰が過剰だなとおもうことが多すぎます。
若い人がおとなしい、おとなしい、といいますが、いまのような社会的なpunishmentがここまで強いと若い人はおとなしくなるのは当然でしょう。この草なぎさんという若者に対する、悪代官の極致のような大臣が、最低の人間、絶対許さない、と宣う、本当にいやな国です。だれも周辺が批判しないのでしょうか。このような過剰な、罰を与える風潮はまもなく最高裁で判断がおりる堀江氏の経済活動に対する懲罰も社会の元気を無くならせる一つの原因でしょう。医療の分野でもとくに少数派の医療をする医師にはげしいバッシングが起こります。並の神経ではこの消毒、保健所国家を生きていくのはたいへんです。消し去るのでなく、残していって、毒も薬である、という長年人類の知恵を再認識すべきなのに。
特に問題なのが、一生人に罰を与えることを生業とするような人々がいま日本でいちばん羽振りがいいと言うことです。
わたくしは人々に懲罰をあたえて生きていく人々は社会にとって不必要とはおもませんが、社会の隆盛化にはもっとまったく別な人々が必要だと思うのです。
そういうわけで、過剰な懲罰国家ジャパンは衰退に向かわざるをえない、と思うのです。
中国でも懲罰はあらあらしいかたちでは起きているようですが、日本のような一見ぬるま湯社会なのに、この草なぎ青年に対するはげしいまでの社会的懲罰をみると社会の硬直化を強く感じざるを得ません。どうしてもっとゆるやかに対応してまた簡単に許してあげないのでしょう。わたくしなんかは許すどころか、よくやったな、あっぱれと肩を叩きたい位です。しょせん、コマーシャルも降りるし、番組もおりるし、ほっといても本人にはつらいことが沢山起きるでしょうし。しかし、いい青年ではないですか。
普通のひとがたまに狂ったようなことをしてしまう、それが人生だし、そこが人生の面白さでしょうが。ドラッグも飲んでないし、家宅捜索されてもなにもなにも出てこない、やはりテレビにでてくるあのなんともいえない好青年の顔つきが、彼の平素の姿なのでしょう。それが酒を飲み過ぎると、ああなる傾向があったのでしょう。大声を出さなければこうはならなかったでしょうから、やはり何かよほど、鬱屈していたものがあったのでしょう。