きのうほどではありませんが、今日も肌寒い日です。
昨日、今日と京都でのラボの進捗状況を報告議論する日です。一人の持ち時間がかなりあるので、わたくしもかなり時間をかけて一人ずつやるので、かなり充実感があります。
さっき終わりました。
あしたは、皆さんを比良の家のほうに招いていますので、今日の夜は特に行事もなく会が終わったら簡単にお茶、お菓子でも食べますか、というふうになっているとのコンパ担当のAさんのはなし。
そういえば妻にはきょうは外で食べるといって出てきてしまいました。まあなんか外で食べていきましょう。あしたの準備もあって大変でしょうから。
豚インフルエンザですが、なぜメキシコでこれだけの沢山の死者が出たのか分かりません。
WHOはフェーズ4に指定したというのですから、世界的にはおおがかりな状況になってきたのはじじつでしょうか。わたくしの欧州行きに影響あるかですが、まあないものと勝手に決めています。
日本のマスコミが騒ぎすぎにならないようにはすべきですが、とりあえず当局が言われているような注意をする必要があるのでしょう。ただまだ国内に一例もないのでフェーズ4の実感はもちにくいですが。
日本の感染症の研究は長きにわたって、冷遇されたので、研究レベルや体制どちらをとっても弱いようです。
ヒトを感染症として襲うものには沢山のものがあります。
インフルエンザやがんをひきおこす動物ウイルス、感染症の原因である膨大な種類の細菌群、それにカンジダのような真菌症の酵母カビ、マラリアのような原虫、ツツガムシのような寄生虫、色々あるのです。
しかし、日本はかなり長期にわたった教育、研究上の軽視、冷遇がいまだに尾をひいているのではないでしょうか。
わたくしは、研究投資や研究費分配における「重点」ということばが、研究にとっての非常にわるい環境作りを助長してきたとおもっています。わたくしの研究などはその恩恵を受けたような面があることは事実ですが、単に激しい研究費獲得の生存競争で生きぬいてきた。その時の、選択が重点かそうでないか、ということだったのです。荒廃するのは当然でしょうか。
いま3000億円とか言うお金がまたまた超重点的に研究費として正規予算で配られるようですが、どうでしょうか。栄養の集中的やり過ぎは、樹木を枯れさせるのにたいへん役立つし、その周辺で放置された他の樹木は立ち枯れて行くのかもしれません。
若者たちも、重点研究領域に吸い寄せられて、そこで過剰栄養になるので、そこが重点を終わっても、どこにいっても通用しない心身になってしまうのかもしれません。
教育では最近、ゆとりというのが目の敵にされてていますが、研究面では「重点」という言葉で、たくさんのかけがえのない研究分野が死滅に向かっているような気がします。