きのうは来客などもあり、お休みしました。昼のあいだはわりあい暑くて蒸してましたが、夜になると風も吹き出し、寒く感じるくらいでした。
今日の写真はミニトマトです。よく見て頂くと、中にちいさい柚子の実があります。落果したものですが、それでももう既に柚子の立派ないい匂いがします。
スイカの応急処置ですが、収穫袋なるものがあり、5枚で300円ちょっとですが、このネット袋に入れて、締める紐でケージ内にぶら下げた後で、袋の下部を別の紐で縛ってつり上げると小さなスイカでも見た目安全に支持されました。大きくなればまた紐をほどき、紐の結わえ方を変えればたぶんOKではないかと、愚考しております。
二日ほど前に収穫して、食べたイチジクはレストランか果物屋で買ったくらいにおいしかった。こんな、こぶりの木にこんなに沢山実がなっていいのか、不安になるくらいです。いままでカラスに食べられるか突っつかれるケースが多かったのに、今回はケージ内なので無事に食べられた。妻は嬉しそうに食べていたが、わたくしはイチジクに対しては複雑な感情があり、食べるたびにアンビバレントな気持ちになります。
わたくしは前にもちょっと触れたように東京の練馬で生まれて、戦争中は柿の木の下に父が作った防空壕に入ったこともあったのだが、戦後の食糧難時代に、この家の庭では父母がとうぜん菜園をやりました。その結果、カボチャはイヤというほど食べさせられました。もう一つはいつからあったのか、イチジクの木があり、食べたくもないのに沢山食べさせられました。その結果、ものごころ付いた頃には、カボチャとイチジクはもう一生食べないと自分ながらに決めて、周囲にも広言していました。敷地の中では他にもいろいろやっていて、トマト、ブドウとか柿とかはそういう感情を持っていませんから、たぶんカボチャを主食代わりに食べさせられたのと、イチジクは完熟していないまだ未熟なものを食べたからではないかと、いまになると思うのです。それとも、母のカボチャ料理がワンパターンだったのかもしれません。
わたくしは偏食はまったくなく、何でも食べますが、この二つだけは少年時代のトラウマだったのでしょうか。
広言したからには、長年食べなかったのですが、さすがに結婚して子供も出来てカボチャを妻が作ればまったく食べないわけにもいかず、一切れ二きれは食べてました。そのうち、カボチャを食べることに違和感を感じなくなったのはたぶん40代半ばころでしょうか。カボチャのスープなんていう、おいしいものも、名前だけで避けていたのですから、先入観というか、子供の頃の記憶とか体験による行動の制約というのは相当なものです。
イチジクについては、乾しイチジクはおいしいと思うし、気にせず食べていましたが、なまのイチジクはとりあえず、食べないようにして、機会があっても常に遠慮していました。
それがどうしたことか、イチジクの苗を購入して比良の方の庭に植えてしまったのはどういうことでしょうか。無意識に、少年時代の追体験をしたかったからかもしれません。
坂本の家からJRの駅まで歩いていくと途中に畑の中に2本大きなイチジクの木があるのを見つけました。ある時完熟したのが手の届くところにあったので、周囲を見まして誰もいそうもないので、ひとつ失敬しました。歩きながら皮をむいて食べてみると、案外おいしいではないか、そういうことを経験しまして。トラウマも何十年ぶりに解けたのでしょうか。
でもやはり、ついうっかり未熟なイチジクを食べたりすると、あの白い液と共にイチジクはもう食べたくないという少年時代の舌の感覚のようなものがふと思い出されるのです。
これも、食い物の恨みに類する話しになるのでしょうか。
練馬の家にはザクロもありました。今となると、イチジクとザクロはたぶん父が画材の為に植えたのではないかとおもうのです。この家に植えてあった、ザクロを食べた記憶が子供時代ありません。花はきれいなのに、なぜかザクロは無惨な果物というイメージがあるのは、果物が割れて中に見える実が何となく子供心に怖そう、でも味は酸っぱくておいしいということで、不思議な果物というイメージがありました。自分で育てたらどうなのだろう、という好奇心がありました。
それでザクロの小さな苗木を何年か前に買って、この木がだんだん大きくなりました。今年は沢山花が咲いたのですが、皆落ちてしまって果実になったのがひとつもありません。いま、第二陣の花が咲き出し、これが果実になるのかどうか気にしてるところです。