朝からコマネズミのようにせっせせっせと畑で働いているのですが、まったく苦になりません。
不思議なものです。苦になるどころか楽しいばかりです。
成長期の人々を育てる楽しみのようなものです
センダンの花が咲きました。紫の小さな可憐な花でした。いまはツルツルの樹皮ですが年をとるとぜんぜん違う樹皮になります。不思議な木です。
四歳の頃でしたか、まだ素直ないい子だったので、あの家の前を通るときは息をしないように、といわれて、息をとめて必死で走って前を通ったものでした。その家の前を通らないと、小さな森の遊び場に行けないのでした。結核をしたことがある人がいるというだけの、迷信と偏見にもとずく行為であることを知らずにやっていたのでした。
きのう神戸市内を通過するときにふとこんな昔のことを思いだしました。
昨日午後、那覇空港についたら、あと30分以内に神戸空港行きが出るというのでそれも乗れるので、ちょっと興味がおこって関空便をやめて、乗りました。
機内がらがら一割以下ですか。驚きました。
半分くらいの乗客がマスクをしていました。沖縄でマスクをしている人はいませんから、驚きでした。
到着して、この驚きは次の驚き、これは異次元空間?、という感覚になりました。
空港での半分以上のひとびと、ちょっと見た目に大多数の人がマスクをしていました。
これは感覚的にかなりきつかったでした。
異空間神戸という感を持ちました。
ここは、危険、マスクをしないと、という感覚を多数の人が持っているのなら、ちょっとそういう町にはいきにくいでしょう。
わたくし自身は、ほとんど危険を感じないのですが、でもこれでは神戸には外部の人は理由がないと来れないな、というか、神戸の人は来てほしくない、そう思っているとしか思えないのでした。
三宮からのJRでも驚くほどのひとたちがマスクをしていました。
京都ではとんでもない多数の人々、とくに修学旅行生が旅行をキャンセルしているようです。
一日何億円とかホテルだけでもそういう金額がでてくるのでしょう。患者はわずかに一人とかなのに。
でもいっぽうで、京都市内をはしる京阪電車は絶え間なく、マスクをしてくださいと連呼しているようです。そんな公共交通機関があるのでは、とてもじゃないですが、修学旅行生を引き留めるのは無理でしょう。
神戸、大阪、京都、ほとんどの人がマスクをやめない限り、どうしても必要な用事がある人以外、訪問者はなくなってしまうでしょう。
こんなこと当たり前です。
わたくしはこれまでに数え切れない位神戸に行ってますが、今回くらいrepulsiveな神戸を経験したことありません。震災時とは、まったくちがう神戸という町を感じてしまいました。
でも170人もインフルエンザ患者がでれば日本中どこもおなじかもしれません。科学的なことについて、日本人は異常な感覚をもっているのだな、と最近は思うようになりました。わずかでもリスクがあれば、もう何もしない、これがいまの日本の国民性なのだな、ということです。経済の収縮などおきたって、別にかまわない、というわずかな危険を最大限に考慮する、これが日本人像なのだな、ということです。
韓国では盧武鉉前大統領が自宅近くのやまから飛び降り自殺をしたとのことです。
いたましいことです。
他国にきびしいことをいう国家指導者一般的に身辺はきれいでない、という経験的に確率のたかい事実があるのです。