大学院生の学位論文への道 Road to Doctoral Thesis for Grad Students

今日しめした可憐な花はカハラナデシコという名前のもので、細い茎で今にも折れそうですが、地を這うような感じで案外つよそうです。

素朴な疑問さんの質問がありました。あっ、そうかなるほど、博士の学位のとりかたというのはそれほど公知ではないので説明しないといけないですね。ただ大学や同じ大学でも研究科により随分博士の取り方は違います。それらのちがいを説明していたら大変ですから、わたくしが過去30年以上いたK大の理学研究科の生物物理専攻と生命科学研究科でのやり方を説明しましょう。どちらもよく似ていました。

学生の側に立つとどうなるかという感じで説明しましょうか。
学位を取るためには大学院にいて研究をせねばなりませんが、そのためには学位請求論文を書くための基礎となる論文を一報まず公表せねばなりません。審査員(レフェリーとかレビューアーとかよびます)のついた国際誌(英文で発表したもの)に公表することが必要です。しかもその時に筆頭著者(論文の著者達の最初にくる)でなければいけませんし、共著者がその論文を博士論文の基礎とすることを承諾した証明書を貰わないといけません。もちろん単著(一人で論文を書く)であればそれでいいのですがまずそういうことは滅多にありません。ただ、指導者と二人で公表することはよくあります。条件としては、一報ですからわりあい簡単だと思われるでしょうが、なかなかそうでもないのです。やはり条件を満たすのに五年くらいかかる人が多いですね。

わたくしが書いてる論文はおもにこの基礎となる論文です。その間、学生さんは「のほほん」としてるどころか、非常に忙しくなります。わたくしのラボでは、英文の論文の下書きを頼む場合もありますが、大抵はデータ整理、図表の作成、それからわたくしと連日公表データの最終判断でギリギリの議論が始まります。どうしても公表したいが、しかしこのデータではレフェリーは納得しないだろうという判断になれば、また実験をやり直して貰います。さらに、データの細部の検討、複数回実験はしてますので、どのデータを公表するのが、もっともフェアーかのこれもギリギリの議論と判断が始まります。
なぜここでギリギリとかいう表現をするのかというと、院生側から見ればもうやっとこれで実験段階は終わり公表になったはずなのに、議論する過程でまたまた実験をやりなおしたり、新規にやらなければならないという判断がおりたらやはり相当なショックでしょう。
さらに最終段階でいろいろ細かい指示が「あめあられ」のように頭に降りかかってきます。
論文書き始まってからも、過酷と思えるような指導者の要求を何ヶ月も経てやっとこ最終的な投稿材料が揃うわけです。今の若者は基礎体力がおちてきていると思います。ですから、わたくしも本人の顔色を見ながら、倒れたり病気にならないようにやってるつもりです。
投稿論文を書くのはベテランのわたくしのようなものにとってもいまでも身を削るような作業であり膨大な時間をかけ、苦労するものです。ある程度の水準のジャーナルを自力で論文を書いて通す院生というのは日本では難しいでしょうね。言葉の壁もありますし、原著論文を書くのには沢山の約束事があり、それを院生に要求するのは過酷です。このあたりが、経験年数がまだまだものをいう、生物色のつよい生命科学系の大学院での現状です。
投稿したからといってすぐ論文が通るわけではありませんが、ここのところは詳しく説明している時間が無いので、ともあれ投稿、レフェリーのコメントもしくは編集者というかエディターの判断があり、めでたく通ったということとします。
そうしますと、正式な手紙が投稿誌から来るので、これで学位を請求するための基礎論文が出来たことになります。
そこで今度は自分一人で学位請求論文を書き出します。わたくしのラボでは日本語でよいといってます。思いのたけを好きなだけの長さで書きなさいといってます。
この論文中には公表できなかったデータや考えやモデルなど好きなだけ書いてくださいといってます。この学位論文は大学の図書館とたしか国会図書館にあるくらいで数部しか作りません。わたくしは通常この学位請求論文にはいっさい関わりません。本人が書いたものがそのまま提出されることになってます。書くのにはたいてい2,3か月の期間がかかります。
この学位論文の準備ができたら必要書類と共に研究科の教務担当に提出します。
研究科の教授会ではそれを受理するかどうか、審議し、OKなら審査員を数人(4人とか5人とか)決めます。主査、副査などと審査員を呼んだりします。審査員は提出された学位論文とその基礎になる公表論文(英文、審査されたもの)の両方を読んで本人の寄与を推し量り学位論文の質を評価します。最後のハイライトは学位の公聴会でして、院生が審査員、研究室や周辺の同僚、友人、仲間などの居るところで口頭で発表します。
そのあと、審査員が合議して合格させるかどうかを決めるわけです。合格したのなら、数か月後には晴れて学位記なるものが頂けるはずです。

そういうわけで、わたくしが書くのはゴーストライターではまったくなく、研究室の能力を最大限に発揮したた原著論文を一つ一つ研究室の主宰者として公表して研究分野に対して評価を求めていくわけです。その過程で、それぞれの原著論文がひとりの院生の学位論文の基礎となる構図なのです。
この方式は、国際的にも広く行われているのですが、多様なバリエーションがあり、それぞれには短所と長所があります。

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