近大ボクシング部 研究環境の悪化

近大のボクシング部が廃部とか。
部員学生が恐喝と強盗を繰り返していたとか。
だからといって、60年の歴史があったという部をそう簡単に無くしてしまっていいのでしょうか。ボクシングをやる学生は貧乏でハングリーなのがいるかもしれません。それで誤った方に言ってしまったのでしょう。恐喝、暴行して7千円を奪ったとか報道にありました。でもそういう学生が二人、三人とかいたからといって、廃部にするというのはわたくしには分からない理屈です。世間に対するお詫びというよりも、連帯責任による罰というもので、同じ体育会員は相互監視しなさい、という昔から日本の村社会を支配する連帯と村八分みたいなものを強制しようとするのでしょうか。
近大というのはたしか同族経営で、世耕といういまは国会議員になってるひともその一族なのでしょうか、もうすこし寛容さがあってもいいのではないでしょうか。過剰な罰はなにもいいものを生みだしません。

伊豆の会でおしゃべりして、ひさしぶりに日本の研究者のコミュニティーというか「娑婆」に触れたような気がします。
大学経営もやはり行きすぎのところがどこにもあるようです。
こういうことがある、ああいうことがある、という呆れるようなケースの例示のなかで、やはり東工大と阪大がどうも極端かなと思わせるものがあります。阪大はあんなに立派な研究者が沢山いるのに、どうも当局はなんかヘンですね。東工大の当局のはなしは、やはりこの大学がかつて蔵前工専だったか、なんとかという前身の体質がいまだに残っていることを暗示しているようです。
つまり工学系のぼうやが当局にたくさん巣くっているのでしょう。そういう人たちに統治されると、「脱北」したくなる研究者が多くなるようです。

それと、全般的に研究費の環境がどんどん悪化するということも何度も聞きました。
貧富の格差という表現ではうまく言えませんが、富裕層の研究者が高い業績をあげているとも言えないことも含めて、なにかまずい雰囲気が研究費の面でも拡大しているようです。
わたくしは有名ジャーナルに論文を発表しないと自分は消される、存在できないようになる、という感覚をもっている研究者が増えていることが一番問題とおもっています。

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