世界の科学技術のなかでは今でも総体として米国の水準と成果は他の国を圧しているといえます。
日本の科学技術をより高めるためには、米国と同じようなことをすればいいのではないか、とこれは誰でも考えることです。
現実的に、戦後65年間だいたいそういう流れで来たことは事実です。しかし、実際には米国の追従というのはもうずいぶん前から熱心でなくなったというのも事実です。
出来ることなら、米国などに留学しないでも日本国内でそこそこの研究生活を送れるものなら、そうしたいと思っている日本人は増えています。
なぜそうなったのか?
結局日本の科学技術というのは米国とはまったく別のやりかたで行われているのです。
中国や韓国と異なって、米国の留学などを条件にするような人事などはありませんし。
一体どこが違うのか。
日本の科学技術の現場は「日本語」で行われる。講義もセミナーも研究費申請も日本語で行われます。ラボ内の言語は日本語です。
外国人と競争することは、日本の現場ではありません。
であるからして、米国と同じような研究環境はありえません。外国人は日本語を読み書きしゃべらない限り、この現場に対等で参加できません。
明白に、女性には不利な日本の研究現場です。米国ではもうそういうことはありえません。どこでも米国なら、男女がほぼ半数ずついるのが研究の現場です。
日本は真似をしたくても、日本の男性が生まれ変わらない限り無理だと思うのです。
どうしたらいいか、わたくしはこれは簡単に対策があって、男女半々の研究環境を持つ大学や研究所には他より2倍か3倍の研究費を出せば、それであっというまに変わるでしょう。
明白に年齢差別があります。米国では年齢による差別がなくなりました。
良いか悪いか別にして差別が無いのです。
これも、直すことは容易でしょう。いい結果が出るかどうかは知りませんが、いまの日本は、研究リーダーの90%以上が、男性で45才くらいから60才くらいの間に集中していますが、これはかなりヘンなことも事実だし、印象は良くないです。
日本の研究現場は、英語であることを変えられないのなら、グローバル的な競争はあり得ないわけで、そうなら、海外留学熱がいまや高くないのも当たり前です。
結局日本の科学技術は、国内現場が極端な日本語漬けであることを、まずどうするか、そのこと抜きには語れないのです。
つまり日本人は立派な英語つかいになって、米国から帰ってきてラボを構えれば米国と互角にやれる、という考えでは、世界のだれも納得しないのです。
東大や京大や阪大の教授職がなぜ日本語をしゃべらないと駄目ということでは、関税障壁で守られた、脆弱なものしか出来ないだろうと、いわれても反論は困難なのです。
道は2つに分かれます。
日本の研究現場の一般語は英語とする。
いままでどおり、日本語とする。
わたくしは適当に混在するようになれば、いいと思っています。
それで結果を20年後くらいに見ればいいでしょう。