心臓マッサージ、京都に住むイスラエルの人、

きょうは暑いです。昼に理髪にいきましたら、なんとそこのご主人が最近倒れて救急で入院したとか。わたくしはそのご主人のお姉さんに髪の毛を切るのはもっぱら面倒を見てもらってご主人には切ったあとのシャンプーとかの面倒をみていただいていたのですが、どちらも年は非常に近いのでびっくりしました。
細かく聞いてみると、なるほどそうか、生死を分ける瞬間はいろいろあるものです。不幸中のさいわいで、子息が家にいたので、直ちに心臓マッサージをしたので、後遺症も残らないでいると言うことでした。やはり最初の5分とかそんな時間が大切なのだと強く実感した次第でした。わたくしは、自分で他の人の心臓マッサージをすることが出来るのかどうか、自信がありません。
それにしても名医のご託宣とうものには、安心は無用で、自分で自分の重病は見つけるつもりでいないと、いけないとも思いました。

帰りに、百万遍の北にある和風お好み焼きのNの看板が変わっていることに気がつきました。しげしげと見に行くと、串カツとなっていました。しかし、営業をしているようにはまったく見えません。

昨夜は、二軒目に、沖縄のTP君の勧める、イスラエル人の経営する日本酒バーにいきました。
外国人の読むガイドブックにはひんぴんと出るそうなので、いったのは遅かったですが、それでも外国人が席の半分くらい、7,8人いました。このイスラエルのかたはもう20年以上京都にいるそうです。
帰り際に、他に誰もいなかったので、京都に住むイスラエルのひとは何人いるのですか、と聞いたら、他は知らない、といっていました。それで、かつて「てづくり市」でイスラエルの人の作る出刃包丁が気に入って買ったことがあると、いったら、なんと彼はその包丁を作った人が住んでいた家に今住んでいる、とのこと。その包丁の人は奥さんと一緒に米国にいるとのことでした。本当は刀を作るのが目的だったとか。世間というか世界というか、狭いものということでした。

そういえば、TP君も沖縄に来たのは空手を学ぶためでした。沖縄にはチェコ人が他に一人住んでいたことがある、いっていました。
日本の刀や空手を学ぼうとやって来た若者がそのままずっと日本にいることになるのですね。
包丁のひとも奥さんが単なる英語教師以上の役割を日本で持てたら、もっと日本にいたかったようなことを、この日本酒のイスラエルの人はいっていました。このかっこいい人物、本当は何をやっているのか、好奇心を抱きました。気さくですが、無駄口を一切言わない人物でした。

わたくしも、そういえば学問を学びたくて欧州に行ったのです。

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