昼食時に、講談社のかたと会いました。約束を果たすことができないうちに、担当の方は部署が代わり、別の方がおいでになりました。すみません、ということになります。罪ほろぼしの気持もある一方で、もういちどああいう濃密な啓蒙書を書くエネルギーはいまのわたくしにありそうもないので、できたら若くない、年寄りの落語家をどう使うか、そんな風に考えてほしい、とお願いしておきました。
きのう政治のほうでの人材の枯渇ということを話題にしましたが、その原因は世襲が多すぎるのが最も大きいでしょうが、他には、以前の政治家の人材源だった上級官僚がもう枯渇して上級でなくなったことも一因なのかもしれません。それにこんなに官僚叩き、天下り叩きでは、官僚を志望する若者も減るでしょうし。
人材は日本のどこかにいるのでしょうが、本人も気づかず、誰もおしえてあげられないのでしょう。
日本の研究のほうも人のことを言っていられません。
ワールドクラスの人材がかなり減っているのではないか。
だいたい、いまの60才を境に総じて、大学学部での勉強量がガクッと下がって、必要最低限の資格に必要な分しか学ばないのが大学に残っている疑いがあります。
いまの多くの教授連に、第二外国語をどの程度やったか、聞けばそのあたりがわかります。
実用の段階にまでもっていった人はほとんどいないような気がします。
それから、研究者に必須の哲学もどうでしょうか。
端的にいって、知的に有り余るエネルギーがあるような人間こそが研究の世界に向いているのに、カリキュラムだのシラバスのヘチマだのという教育側の御仁に限ってせせこましい知識しか持ってない傾向がつよいのです。
研究の世界には余剰な知的エネルギーがいっぱいのような人物こそがやってくるべきなのです。
別にいうと、遊び好きということです。
語学などは知的なエネルギーや好奇心の源泉みたいなものです。
若いときに、外国の女性にもてようとおもったら、その国の言葉を学ぶ必要があります。
遊び好きで、人生いかにいきるべきか、後ろ向きでなく前向きに旺盛にそのことを考え、行動するようなひとたちが研究の世界に来てくれたらいいのですが。
極言のように聞こえるかもしれませんが、日本の研究の世界の人材枯渇は、既に教える側の方にあるのかもしれません。
きのうだかの新聞に例の90億円を受領する30人の研究者を決める、委員会のメンバー名が出ていました。
知っている人があまりいませんでした。アステラス製薬のトップの人がいるようです。一流製薬会社から見たらはした金程度の額なので、あまり緊張せずにさっさと自分の意見が言えていいのかもしれません。
公募とあるのでなにかと思ったら、広く国民に研究テーマを公募するのだそうです。