才能ある大学院生  Talented graduate students

この一週間は水やりなしでは作物はほんとに厳しかったでしょう。すみませんでした。でもけなげにも葉を枯らせながらもナスもキュウリも精一杯収穫を生みだしていました。こう言うときにはどういう言葉を植物にかけてやればいいのでしょう。
収穫10kg。スイカも順調でした。桃の一つを食べました。おいしい。まだ堅いけれども。ただ無農薬の欠点で芯に虫が入っているし黒くなってる部分が多い。
久しぶりに一人で比良山麓でのセカンドハウスでの生活をすると、とても楽しいので驚きました。今日の晩ご飯に使う野菜をどれにするかなど平素は妻の独壇場の部分が自分の領域になって。妻に頼み放しのところが自分の仕事になって、新鮮な感じです。
午後3時頃にIさんが現れて屋根裏部屋のテーブルの具合を聞きに来ました。迷うけれども仕事の便利にあわせての手直しをお願いしました。コーヒーを飲みながら雑談。
この暑さの中でいろいろ畑の仕事がありました。それにT君の論文を進行させました。
暗くなってから、晩飯の準備。料理は見栄えは悪いながら、我ながらうまいのに感心。料理こそ男の仕事とおもった魯山人の気持ちにわずか一時間程度ながら同化。しかし、男の料理は酒をいかにうまく飲むかそればかりかんがえているのではないかと深く反省。酒のない場合の料理のこともかんがえないといけない。しかし、この冷蔵庫の中に入ってる食い物の量はちょっと多すぎる。わたくし一人では、1か月くらいは食べるにかかりそうでした。

ところで学位のことについてのブログ、コメント多いですね。でもちょっと筋が違います。かなりずれてる感じです。
博士の学位は科学の公道を歩むのに必須の資格。つまり運転免許証です。それ以上でもそれ以下でもありません。はっきりいって、この博士の学位がなければどんな会合にいっても相手にされません。でもあればそれでいいのです。そのうえでのすべての話しが始まるのです。科学の世界では博士の学位は成人であることの資格です。わたくしが、「10か条」の本で書いたのはあくまでもこの科学の公道で歩くための資格を得るための一般的なお話しです。自分のラボで実行してる過激な研究などするはずがありません。
わたくしの研究室に来る学生は科学の公道を歩むための資格を得るためにきたのではありません。そういう平均的な発想は、K大理学部というけったいなところでは、最もさげすまされてるのでした。フォーミュラーカーを運転してレースナンバーワンのポジションを得ようというアンビションを持った若者達がごろごろいるのです。その資格があるかどうかなどは問題ではありません、その気になってる若者であることが本質的に大切なのです。
わたくしももちろんその若者のスピリットを利用して、だれかがコメントで書いてるように、野心的な成果を得ようとしているのでした。ですから、常識が通用する世界ではありません。
しばらくやればフォーミュラーカーを運転できるかどうかはわかってきます。冷厳な結果がつきつけられます。つまり天才と思っていたのが単なる凡人だと分かるのですね。教師も学生もそういうときはつらいものです。でもそれでもわたくしは公道で普通にやっていける連中を育てることもうまいのですよ。
もうわたくしも、大学院生を育てる仕事はやってるものの形式的には終わってるので、言わせてもらえれば我ながら類まれな才能をもっていた、と思いたいくらいです。どうしてそんな才能があったのか、これは誰かに分析して貰いたいですね。ひそかに自分では天才的だとおもってるのですが、でもこれはわたくしのところで既に学位を取った50人以上の連中の賛成がなければホントとは言えませんが。
オリンピックというかフォーミュラーカーを目指す若者の気持ちはよくわかるのだけれども、気持ちだけの場合が多くて、長年のつきあい、ほんとに疲れました。彼等にいいたいのは、気持ち以外の何かリアルなモノをもってわたくしの前に現れて欲しかったですね。ホントに。これが正直な気持ちです。
わたくしの側から言わせてもらえれば、いまの日本の社会は本当におかしいとおもいます。若者がなんの実力もなしで大人の前に平気であらわれるシステムになってるのですね。わたくしは自分の胸に手を当てて、自信を持って言えることは、わたくしが大人の前に現れたときには、彼等が恐惶をきたすというか、慌てるだけの実力をもっていたといえます。22才か23才のわたくしが彼等に肉迫する実力は、今かんがえてもたいしたものだったとおもいます。これ、誇大妄想ではありません。ホントの話しです。今日はホントが多い。
いったい日本はいつの頃からこんなに薄弱な文化になったのでしょうか。
ともあれ、大学院生は本当の使命は新しい実験をして新しいデータを生みだすことです。革新的な概念をもって、あたらしい実験をして、あたらしい概念を生みだすことです。これが革新的な大学院生の使命です。でも革新的な院生は科学の公道を歩もうとする普通の大学院生の5%もいれば十分です。革新的な院生を目指して、あっさり挫折してもそれでも学位をえられるのがわたくしの研究室だったのですから、ほんとにいたれりつくせりでした。
きょうはわたくしの自慢話のブログでしたね。

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