才能ある大学院生 続き  Talented graduate students continued

けさ池のそばにいったら、ヤンマがいて、上がったり下がったりしていました。しげしげ見ようとしたらさっと飛んでいってしまいましたが、オニヤンマだろうとおもいます。眼鏡をかけていなかったので、色がハッキリしなかったのですが、もしかしたら、ギンヤンマだったかもしれません。それに、みたことのないトンボがいました。シオカラトンボより一回り小さくて透明感の高い感じ、しっぽはハッキリしない色でした。あとで図鑑でもみてみましょう。
どんよりした天気ですが、朝から虫の音が高く、7月の最後の日なのにもう秋の気配がどこかにあるのでしょうか。完熟したトマトを朝食に食べました。もぎたてですから、贅沢でした。
今日の写真はこぶしの実です。

きのう、「革新的な院生は科学の公道を歩もうとする普通の大学院生の5%もいれば十分です」、と書きました。わたくしは、自分が研究室を主宰できるようになったときに、自分の研究グループだけは例外にして、100%そういう若者だけからなるということを、夢にえがきました。もちろんK大理学部という特殊な環境だからこそ、考えられたのですが。結果、100%は無理だったかもしれませんが、ほとんどそういう若者達からなるスピリットの非常に高い研究室を維持できたとおもいます。あとから考えると、つぎつぎにそういう若者がK大のみならず国内のいろんなところから集まってきたものだと、自らの幸運に驚くばかりです。出身者は現在も革新的な研究を目指してるのが大半にみえますので、ああいう研究室運営をしてよかったのだと回顧します。

それから、「オリンピックというかフォーミュラーカーを目指す若者の気持ちはよくわかるのだけれども、気持ちだけの場合が多くて、」とも書きました。これは一般論として受け取って欲しいですが。構造研のかつての院生も、「きみ、研究者になろうと小さいときから思っていたのなら、いったい何をそのために準備してきたの?」というわたくしの質問(一種のいやがらせに聞こえたでしょうが)に絶え間なくさらされていました。これは今でも同じです。指導者としては、いかなる動機で研究者を志したのかそれを知りたいということです。動機は本当にやりたいと単に願っているのか、それとも公然かそれとも密かになにか特別な才能があると信じているのか、そのあたりです。後者なら、ぜひその信ずる才能を聞かせて欲しい、ということです。こういう質問をボスから聞かれて、ただちにうまい返事が出来るとも思えませんが、それでもなかなか納得した返事をもらえたケースは少ないです。でも時が経過してみると、かれらの「才能」は見えてきます。実地の研究の開始時は本人すらも、当然ながらわたくしも掴みかねていた、「才能」が10年くらいたつと結果論として見えてきます。その「才能」はわたくしの考えているものとはちょっと違うのですが、それでも彼等から見たら見事な「自己実現」なのかもしれません。わたくしも形而上的なものを捨ててしまえば結局彼等と似たような自己実現を目指していたのかもしれません。以下にいくつかの例を挙げてみましょうか。

トランプを一枚ずつ縦に立ててピラミッド状組み立てを作る。この極めて困難そうに見えるものを作る特異な能力は、まだ小さかったわたくしの息子の感嘆と尊敬のまなざしをうけました。彼の帰宅後には玄関にあったスリッパがいつのまにやら、ピラミッドに立てられているのに気がつきました。ユニークにして不思議な若者でした。今から考えると、彼は学問の世界でもおなじようなことをしたくて、たぶん子供の頃からその技を磨いていたのでしょう。そして、いまの彼はそのような能力をうまく学問能力に転化しているようにみえます。自前のラボを持ったら何をやるか、出身者のなかでは一番興味を持ってます。しかし、彼はそういう状況になることからうまく逃げてしまうかもしれません。逃げて欲しくないと、おもいますが。

勘、これで生きていた若者もいました。かれは高校時代伝説的に成績がよかったらしいが、大学にはいって、そのような学校能力がほとんど役に立たないことを「勘」ですぐ分かったのでしょう。それから、彷徨があったらしいが、ふらっとわたくしのラボにきたのでした。たぶん、誰かの助言と彼自身の何か「勘が」働いたのではないでしょうか。そこで頭脳的な抜群の優秀性が一挙に花が咲いたのですが、しかしあくまでも彼の真骨頂は「勘」にあるとおもいました。ラボ内で「読心術」なる人間関係ネットを創始した功績もありました。これも「勘」が必要な術でして、面白いですよ。でも気持ちがすさむというので、絶対やらないのもいました。どう実行するか、いつか書きましょうか。いまの彼の学問が彼の勘に基づくのか、そこのところはハッキリしませんが、たぶんそのうちなるほどと思わせられるでしょう。

勘ではなく、ギャンブル的なものに賭ける若者もいました。今でも、彼の研究がギャンブル的なことは間違いありません。でも、危ない橋を渡りながらも、思いのほかうまくいってるので驚きます。たぶん原点が数学を目指して、それが見事に失敗したので、ギャンブルの怖さが分かってるのでしょう。若いときに大きな賭けに負けるのはいいみたいですね。

笑う、これが人生の生きがいというか、モチーフの人(複数)がいましたね。これは、ある水準まで達すれば、間違いなく優れた才能でした。そのうちの一人は、笑うと、100メートル先でも分かるくらいです。大声でなく、通る声なのですね。ハイピッチの会話を聞いてると、どこで合いの手に笑い声が入るのか、その瞬間を待つのが楽しみになる点でも人物でした。研究の世界は笑うことが自由に出来ます。ですから、笑い(上戸)には住み心地がいいはずです。学問的に成功したらたぶんおもいきり大笑いするのでしょう。笑う研究者、笑い続けられれば間違いなく大器です。

きょうは長くなったのでこのケースで終わりにしますが、コンピュータが得意な、時代の子である、若者が何人かこれまでにおりました。得意というか職業としても十分やっていけるだけの能力を持っていました。彼等がラボに来たのは、ここなら彼等の能力を発揮させられると思ったのではないでしょうか。コンピュータと生命、この結びつきを狙っていたはずです。この若者達に対してその能力を十分に発揮できるテーマや環境があったかどうか、さらにわたくしが十分に応える能力がなかったことが一番問題でした。コンピュータと生命現象をいかにうまく結びつけるか、そのあたりわたくしのほうが準備不足でした。残念というか、申し訳ないという気持ち
もあります。いまならもうすこし、彼等の能力を十分に発揮できるだけの環境とテーマを提供できると思われます。

付記、これを投稿してからミシガンの浅野さんのコメントを読みました。批判もっともです。わたくしが舌足らずでした。すれ違いが起こり、結果非常に挑発的になってましたか。おっしゃるように今の若者のほうが我々をはるかに超えるものがたくさんある、特にコンピュータの面ではまったくおっしゃるとおりでしょう。このうえにも書いてあるとおりです。ただし、わたくしが頭にえがいていたのは、学者が口舌の徒であるという、前提に立った時の「口舌の徒」ぶりのことを言ってるのです。激しい議論、厳しい議論、相手をとことん説得、時にはねじ伏せるような議論をやって生きぬいていくパワーのようなものをイメージしてます。しかし、またそのうち議論させてください。たぶん、きょうのブログが一部は返事になってるとおもいますが。

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