64回目の敗戦の日に思う

ブログ休日なのですが、8月15日なので、すこし書きたくなりました。

戦没者追悼式での陛下の声、すこしお風邪なのかお疲れなのか、いつもと違うように聞こえました。

両陛下、いまのままでは靖国神社にこれからもずっといけないのでしょう。神社もきていただくための格別の努力もしてるようには思えません。このままでは靖国神社は一民間神社になってしまいます。
軍人で戦死したものが祭られる場所は、誰がかんがえても国立というか国のものであり、かつ宗教的施設であることも当然でしょう。靖国神社が多くの人々の論議の対象になっているうちにいつのまにかそういう一部の議論する人だけのためであるかのようになってしまいました。政治家もふくめ日本人は猛省すべきなのでしょう。
国の元首である天皇が参拝にいけない、これではどうにもなりません。このまま時が経つと、だれもが素直に参拝できる場所というコンセプトから靖国神社はますます遠ざかってしまうかもしれません。とても不幸なことです。
マスコミもしばらく大きく取り上げないでいることがなるべき姿になっていく道のために大切だとおもいます。
きよう政治家が大挙して参拝にいくのをみましたが正直、醜くく見えました。自分の家族といけばいいのに。

戦争の記憶、なにとなにを決して忘れてはいけないのでしょう。なには忘却してもいいのでしょうか。
記憶にとどめるということは未来のために忘れない、そういうことでしょう。
忘れたくても忘れられない、痛切な記憶は広島、長崎、沖縄それに大空襲にあった東京や大阪にあったでしょう。同じように忘れられない出来事が満州や戦地であったでしょう。戦争の相手側の諸国の人々にも消すことのできない記憶を日本人の作った軍隊がつくったことも間違いありません。そういう忘れたくても忘れられない、記憶を存続することだけが未来に必要とはまったく思いません。
それよりも、いかにして戦争は始まったのか。そうしてどのようにして戦争は終わったのか、もっとずっと早く敗戦になることがなぜできなかったのか、そのようなことについて記憶することも同じか、むしろずっと大切でしょう。それなのに、日本の歴史はどこを見ても、このような大切な点で国民多数が共通に同意して記憶すべき了解されたものがないのです。わたくしは、64年経ってますます混迷する日本を見ていると、なぜ戦争をしたのか、なぜ敗戦になることが自明になってからも延々と戦争を続けたのか、この点での理解が共通されてないことが、一つの理由だと思うのです。この点を子どもや外国人に聞かれたら、わたくしは答えを準備してありますが、残念ながら自分独自の意見であらざるを得ないのです。
そして戦後の7年間の占領時代の総括すらされてないのです。この7年間に何があって、そのどれが望ましく、どれが望ましくなかったのか、そういう簡単な総括すらできていません。
いくら経済が繁栄したとはいえこの点での国民多数が共有する了解がないことが、いまの日本の浮遊状況と深く関係しているのに違いありません。

すぐれた歴史家の出現をこころから期待したいです。
日本人だけでなく、外国に生まれ日本の歴史に興味をもつ人々の中から傑出した歴史家が出てきて、多くの日本人が納得して共有できる昭和の最初の30年間の歴史が語られて欲しいものです。
もしそういうものが生まれれば、われわれだけでなく、近隣諸国もふかい関心を示すでしょう。
融和的な東アジアになるためにはまず開かれた国である日本が、この点で国民多数が共有できる歴史観をうみだす責任と義務があると思うのです。
イデオロギーの対立がおわってもう長いことたったはずです。決して無いものねだりとはおもえません。

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