研究費配分は国民の選択にゆだねることが可能だろうか

今回の2700億円の先端研究費はわたくしも「参加」したこともあって、いろいろ意見がありますが、ひとことで言ってこのクラスの研究費の可否はある意味で国民の選択にゆだねることが一番いいのではないか、と思いました。国民の血税です。なにをどう重視して使うのか、国民に考えてもらうのがそして選択してもらうのがいいと思うのです。
何を選択するのか、というとこういうことです。
今回は30人の有力研究者が、各自90億円をもらって5年間先端的研究をするということで、公開公募がおこなわれて、応募者が審査されて決まりました。
このような高額にして特別に選抜された研究プロジェクトを推進する研究者達がいるべきだという考えと、いやもっと広く草の根的に広く研究費を与えて国家としてのポテンシャルを高めるべきだ、という考えも当然あるはずです。
生命科学のような分野では、給与と研究費込みで年間一千万円あれば、独創的な研究が可能と考える人達はたくさんいます。日本中にそこそこの研究施設を備えた大学や研究所がありますから、これくらいでも十分に研究が出来るはずです。そうすると、5年間で5千万円ですから、90億円あれば180人の研究者が5年間独自の研究を進められます。30倍すれば、5400人となります。つまり、同じ金額を使って、30人の特別エリートの5年間のプロジェクト研究を進めるのと、5400人の5年分の給与と研究費を与えるのと、どちらかを実行するのか。これを決めるのにこ官僚と政治家がおもいつきで決めればそれでいいのでしょうか。こういうことです。
どちらもやればいいではないか、こういう意見もあるでしょう。もちろんそうですが、しかし、所詮研究費は限られているのですから、国策としてどちらの方向を重視するのか、こういうことをはっきりした方がいい、と思うのです。政党にも科学技術政策を単に重視すると言うだけでなく、どういうかたちでの研究費配分を重視するのかをはっきりさせて、選挙に臨んでもらったらいいのではないかと思うのです。サッカーで言えば、ジャパンのチームにお金をかけるのと、広くサッカー選手にお金をかけるかです。
わたくしはなだらかな傾斜でトップの高額研究費からボトムの低額研究費までがあればいいと思っています。高額というのは一研究室で3億円くらいが上限で、低額は給与を入れなければ年額30万円位まであるとおもいます。年間3億円以上(もちろん給与も入れて)の研究費をつかう研究室の存在はちゃんとした理由があればもちろんいいと思いますが、生命科学では設備の購入とかそういうものでなければ、珍しいはずです。まず必要ないでしょう。国民の税金を一人の研究者がなぜそこまで使うのか、議論も必要でしょう。
そういうわけで、今回の先端研究費については審査結果がでてから多くの研究者も含めて広汎な意見交換がおこなわれていると感じています。
今朝の朝日朝刊では、瀬川記者たちがまとめた記事が出ていました。応募者や途中まで審査にいった人たちに取材しているようで、選考についての疑義なども含めた記事でした。たしかにこのあたりはわたくしにはわかりませんが、きちんと精査すべきなのでしょう。
しかし、わたくしはそれよりも、今回のこの審査の結果が報道されたあとでの、多くの研究者の感情の動きを決して無視できない、とおもうのです。ある意味危険なことが起こりだしたのかもしれません。
だれとか誰とか、特定はしませんが、こういう人物がなぜこれだけの金額の研究費を得られるのか、かなりの激しい反撥があちこちで起きていることを聞きます。
それはそうでしょう。年間の文部科学省の科学研究費補助金が2000億円程度でこれに何万という応募があって、ほとんどの研究者はその研究費で落ちたり通ったりの悲喜こもごもの人生を送っているのです。
激しい感情的な反撥や怨嗟は研究費の世界では極力おこらないようにするのが、行政の努力方針のはずでしょう。
ですから、今回は結果を見ると、開けてはいけない箱をあけてしまった、研究費なのかもしれません。
これら30人のかた達はこれから5年間、注目の的でしょう。通常の研究者であるならば、のぞましい環境であるはずがありません。

タイトルとURLをコピーしました