きょうは午前中からせかせか歩かなければならなくて、昼飯をたべたあとではもう9500歩でした。
というのも朝、採血があり京大病院の検査に行くのでしたがうっかりして予約の紙をラボに置き忘れたので、いちどラボにきて、11時頃からそのあと病院を往復したからでした。検査は空いていてすぐ血を採られました。でも会計が遅くて20分はかかるというのでブルーパロットをひやかしてきました。
来週月曜から東京での国際会議なので、研究費申請も終わったし、ちらかったデスクなどを整理すると、意外にいろんな書類にはちゃんと対応しているのに驚きました。まずい、忘れていた、というのがありませんでした。これも秘書のSさんのおかげです。
申請書はなんどもなんども読み返すので、色んなバージョンが机に積んでありますが、おもいきりよく捨てられます。ペーパーレスとは言われますが、推敲するのに紙のほうが早いし誤りも、変更もしやすいとわたくしには思えます。ラフな原稿のうちはパソコンスクリーンでいいのですが、やはり終盤に入ると、紙が必要になってくるのです。
きのう辞めたい辞めたいと書きましたが、その理由の一番大きいのは現場の研究に取る時間が欲しくて、すこしでもそちらに時間をかけたい。わたくしに残された時間はそうないし、研究の現場が面白くてたまらないので、本当に研究に専念したいのです。
いざとなったら、過激な手段も取ろう、と最近は覚悟を固めて来ました。
新政府のの科学関係の政策がすこしずつ漏れ聞こえてきました。
文科省の副大臣のひとの説明を新聞で見ました、基礎重視らしい。そうなら、ありがたいことです。科研費、2つの項目がなくなったのも基盤の研究重視という文科省の説明がきょう廻ってきていました。なるほど、そうならばいいことです。申請の種類がやたらに多いよりもじっくりと研究が出来るように分かりやすい申請がいいに決まっています。
科研費の審査は国内では最高水準でフェアーですから(すくなくともわたくしが申請してきた分野では)ある程度の充足率に達するのなら、研究者の焦燥感というか飢餓感はかなり軽減するでしょう。
ただ、来年は雇用されているかどうかわからないという身分不安定なポスドクなどが非常に多いのです。このひとたちを政策的になんとか考えてもらわないと、大学院生からもう先が心配でおちおちやってられない、という風になっている、と皆さんおっしゃいます。わたくしはもう学生を取っていませんのでそのあたりは分からないのですが。
研究をするというのは、今のわたくしにはすべからく研究費と人件費を獲得してからのことになっています。それが駄目なら、消えるのみです。