理論をやる人は価値観がひろいのでしょうから好きなことをやればいいのでしょう。外的条件が許す限り。評価は後でついてくるのでしょう。
きょうは音楽のことについての話題をしましょう。これまでかなり用心をして音楽のことはなるべく書かないようにしていました。理由は何が好きとかどれが好きかいうと、強い先入観を持たれる傾向がありますので。音楽の好き嫌いは個人差が激しいのでなるべく話題を向けないようにしていました。
わたくし自身もかなりひどいほうで、孫の母親に「早い時期からモーツアルトを聴かせるように」などとつい言ってしまっています。孫の母親が「なんで?」などと聞けば、「ベートーベンのような濁った音楽を幼児に聴かせると頭が馬鹿になるよ」などとの暴言をついはいてしまうのです。
クラシックとそれ以外のものを聞いている時間でいえばクラシックのほうがずっと多いのですが、でもそれ以外のものも気分にあわせて聞いています。いまはやはりロックが多いのです。60年代からの生き残りがまだいますから聞きやすい連中がいるのです。書斎で聴くと言うことはまずなくて外で歩いているときなどに聞きます。行進曲代わりですか。案外精神が高揚してぜひあれをやろうとかあれは絶対やらないとかともあれ前向きだろうが後ろ向きだろうが強い意志がでてきたりします。バラード系のロックも好きです。旅行のフライト間の長い疲れる待ちあわせ時間なんかにピッタリだし東京で疲れる会議のあとなど新幹線で聴いたりするのに。iPodは必需品です。いま携帯しているのは4台目(クラッシック)ですが坂本や比良の家やラボにも一台ずつ置いています。
子供が小学生か中学生の頃に父親が日曜の朝になるとジョンデンバーを大きくして聴くのでホントに参ったと彼等が大人になってから言われたことがあります。
わたくし高校生から大学院まで山登りをしていたのでした。山は晩飯の後はすることがない。真っ暗な森や草原に向かって大声で安ウイスキーを飲みながら山の歌をがなりたてていたものですから、フォーク調の歌が30代くらいまでは嫌いでなかったのでしょう。その頃は演歌も流行歌も嫌いでありませんでした。スキー場なんかで聞くくだらない加山雄三などのも鼻歌でフォローしながら滑ったものです。音楽が占める部分は生活の中でかなり小さかったと思います。ともあれ忙しかった。
30代後半でタバコをしっかり止めて毎月タバコ代プラスアルファをCD購入に充てることにしました(前に触れたことあります)。これで急速に音楽に親しむ度合いが高まりました。オペラなど平素聞かないものもよく聞くようになりました。古い音楽とか宗教音楽のCDなども買うようになりました。それと同時に、クラッシック以外のものも購入する頻度がたかまりいろいろ聞き漁ったものでした。
クラッシックと違ってロックとかポップとか激しいのやしつこいのや官能的など色々あって、やはり一度聞いたら二度と聞きたくないものも沢山あります。総じて米国系のはわたくしは駄目でした。例えばお尻をふるのでも米国のお尻ふりには共感が持てないのです。なぜか分かりませんが。英国のロックかユーロビートがなじみやすいのでした。
結局溜まっていったのがエルトンジョンでした。結果、半端でないCDを持っています。次男は呆れていました。長男はわたくしの影響を受けたのかどうか分かりませんが、エルトンジョンが日本に来たときにライブにもいったったようです。誘われたのですが、わたくしは行きませんでした。彼はロックよりもポップに分類されることが多いようですが、わたくしはロックと思っています。
40代の10年間はまだタバコを止めたという意識が残っていたのかせっせと買ったものです。その10年間でいま所持しているものの8割くらいは買ったでしょう。前に買ったので気に入ったのをぐるぐる回して聞いてるだけで厭きません。でも時折新しいのは買いたくなります。
最近はロッドスチュアートもよく聞きます。若い頃の写真をみたら美形なのにびっくりしました。エルトンは美形とは違いますが、でも顔と歌は合っています。ゲイと聞いていますが、違和感がありません。
わたくしは昔と違って音楽をツールにする傾向が増してきました。つまりこういう気分の時にはこんな感じの音楽を聞きたいとか。音楽に依存するように感じることがあります。内在する生命力が落ちて来ているのでしょう。音楽の持つパワーが必要になる度合いが増してきたような気がします。ところでわたくしはロックを聴くのがこんなに好きなのに一曲たりとも歌えません。生まれ変わったらインストルメントを一つくらいものにしたいものです。