東京での水害、席取り競争のはなし

東京で水害があったとニュースで聞きました。一時間に100ミリの雨には対応出来ないのだそうです。わたくし子供の頃に東京郊外の練馬区に住んでいましたがあのあたりも意外に起伏があって、谷間みたいなところというか坂道の底みたいなところが沢山あるのでした。そこが新興住宅地になると大雨が降ると道路が水浸しになったものでした。ドジョウが沢山住む小川から側溝のようなコンクリートの見た目にしっかりした水路ができると,結局それが溢れるのでした。だから新興地に特有な現象として記憶します。なにもしてない土だけの水路はたいていところどころに小さな池があったりで溢れても鉄砲水のような激しくではなくじわっと拡がるのでした。子供心に坂道の底の新興地には絶対住みたくないと思ったものです。技術は進んで水害は減っても、降る雨の量が増えると結局同じことが起きるみたいなようです。テレビの画面をみてそう思いました。水路が広くなっても、舗装ばかりの土地になれば水路の負担は増すばかりでしょうから。

席取り競争というのがありますね。運動会の父兄なんかがやったりするもので、一回ずつ椅子の数が減るので、誰かが座れなくて、競争から脱落する。
この席をめぐって競合するひとたち、競合するまでは会ったことも見たこともないひとたちでした。ところが席取り競争が始まるといやがおうもなく競争せざるをえません。
こういうこと、社会でもあんがいありますね。席取りなんてたいした価値がないことですから、負けて脱落しても笑っていられますが、でももっと真剣な価値のある椅子だと顔色が変わるかもしれません。
スポーツの世界や芸術や研究やそこで競合すると、同じことをやってる人たちが、上位を目指して競争するので、まあ同業の競争ですね。
ところが席取り競争はちがいます。縁もゆかりもなくても、椅子に座りたい,椅子に座らないと競争から脱落する,こういう椅子をめぐったほんらいあまり関係のなかった人たちの競争です。
このちがいをじっくり考えるといろいろ面白いことが頭に浮かんできます。なんでも因果関係のあるもの同士の競争を考えがちだが、案外社会がへんになると、こういう類の競争がえらく真剣なものになり社会的風潮を決するようなことだってあるかもしれません。
生物が生きるうえでの制御にもこんなことがあるかもしれません。

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