あれ、鮒寿司ですか、鮒寿司ですよねと、何人かに言われました。その通りです。味と臭いで、天下に名高い、琵琶湖名産の鮒寿司ですが、家族ではわたくし以外は熱心でないので、滅多に食べる機会はありません。最近食べたのでなく、正月に食べれたので嬉しいあまりの記念の写真でした。お値段がちょっと高いのがーーー。
日本ではしょっちゅう年齢を聞かれ、書かされる機会がおおいのですが、なんで書かねばならないのか、自分では納得しないことが多いですね。ホテルでのチェックインなどでは、最近は年齢欄や職業欄は空欄にしますが、文句を言われることはまずないです。最近もまた年齢をしつこく書かされ、自分が64才であることを思い知らされる機会がありました。
でもその時に、気がついたことがありました。
終戦後60年経って、わたくしは満64才だが、それでは、あの終戦時に64才だった人は60年前を振り返って考えるとしてそれはいつ頃のことなのか、ということでした。
それでちょっと調べてみると、明治18年(うろおぼえ)で、時期的には伊藤博文が首相になり福澤諭吉が「脱亜論」を書いた頃なので、まさに明治の中興期なのでしょうか。それから、60年後に日本は戦争で灰燼にきしたわけですが、その64才氏は何を考えたのでしょうか。わたくしの父方の祖父はその年齢に近かったかもしれませんが、何を考えていたのか、知るよしもありません。80才近くまで生きていたはずなので、昭和30年代のなかばオリンピックあたりまで日本の復興ぶりを見ているはずです。
わたくしは、終戦前60年と、終戦後の60年を比較して考えてみたいのですが、テーマが大きすぎてどこから考えていいのかよく分からない状態です。でも、何度も考えてるうちにすこしずつ頭の中で、こなれてくるような期待感もあります。ただ、気になるのはわたくしに何年の寿命が残されているのか分かりませんが、父方の祖父とおなじくらい生きるのなら、これから何を見て、自分が何を考えるのか、その予測のようなものです。悲観も楽観もしませんが、予測なしに日々の出来事を解釈するのは難しいですから、結局自分は日々いかなる「予測」を持っていきているのか自己診断をせまられる機会になってしまいます。。