すんでしまったこと、DNAと魂

日曜です。暑いです。
民主党の代表選、わたくしのレベルでは終わりました。だからテレビ番組での関係のものはもう見ません。あのNHKでの夜9時のインタビューをみて分かりました。小沢候補は刑事被告人(予定)の待遇を受けたのをみて、NHKのこういうことでの影響力の強さをみたら、結論が出ていると思いました。案の定、民主党の中の動きも小沢氏敗北で動き出したと見ています。ま、単なる予想ですが。

高校の同窓会誌を拾い読みしています。近藤則彦さんが中学からのわたくしと一緒のエピソードを書いています。考えてみると中高大と一緒に同じところに行ったのは近藤さんしかいません。江古田の駅の傍のご自宅にも子供の頃はなんべんもいったのですが。懐かしくなります。

武田光弘さん、読んでみたら、「この辺りのことについては、いずれDNA研究の権威である柳田氏に、ぜひお考えを拝聴したいと思っている」と出てくることがありました。慌てて何のことかとみると、こんなことが書いてありました。「」は武田さんの文章。

「ところで人間はまたうまれてくるのだろうか。私は昔から神とか霊とか魂とかにはなじめず、人間は死んだらゴミになると考えている方である。」
わたくしもおよそは同感。死んだらゴミになるといいますが、実は燃やすとたくさん悪いガスが出ますが、地中で腐敗していけばゴミでなく肥やしになりえます。
「ところが最近とある縁で、「瞑想して内なる声を聞く」、という研修を受けた。残念ながら私には神の光も見えず、神の声も聞こえなかったが、世の中にはそのようなことができる能力を持った人が存在しているらしい。そしてその方々によれば、人間は死ぬと体は物質的に亡くなるが(ママ)たましいは残って、また別の場所で新しく生まれる体に宿るのだという。また、この考えによれば人間は神がこの現世に遣わしたもので、その神は我々一人ひとりの心の内にあるが、多くの人はそれに気づかないのだという。」
こういう考えは昔からありますね。DNAの研究とはぜんぜん関係があるようには見えないのですが。でも武田さんの考えになんとか沿って考えると、つまり自分の中にある物質以外の何かがだれかに継承されている、そのなにかは魂というものに近いらしい。魂は生まれ変わるしだれかに継承されている、こういう考えでしょう。
DNAが魂的存在なら、それでこの一見荒唐無稽な話が本当なら、DNAと魂とはなにか似ているんじゃないか、こういう話かなとおもいます。
これはこの研修セミナーで他の人達が皆信じている「説」があって、初めは否定的だったが時間が立つにつれ、否定的な気持ちがだんだん薄れていく。そういうことでしょうか。
人間の考えたことが他人に継承されていくのは事実。しかしそれと肉体としての継承は別問題。ですから、その研修セミナーでの基本コンセプトは科学的にはまったく支持されません。こう言わないといけないのでしょうね。でも、他人が自分の独自の考えに賛成してそれを生きるうえでのモットーとすることはあるし、まさに魂的なこころのあり方を継承することはもちろん大ありだし、民族とか国家が存続していくのも歴史のなかの人々の魂の中で共感するものを探しているからでしょう。
でも肉体から肉体が継承するためには人では卵と精子がいりますが、それ以外は伝わるものはないのですが。

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