アルメニアの若者たちほんとうに献身的にわれわれをもてなしてくれます。年寄りはまったく出てこない、ほんとうに手作りの若者たちだけの活動です。どうお返しをできるのやら。
昨日は、Echmiadzin大聖堂、古文書博物館、それに共和国広場にある国立歴史博物館を見ました。この国には特有の文字があるのが国家が存続してきた最大の理由なのでしょうか。わたくしにとって、もっとも印象的だったのは歴史博物館にある考古学的な展示で、素晴らしいとしか言いようがありません。しかも展示物のほとんどが目の前にあって一見無造作に置かれているので臨場感がすごい。なるほどこれらが出てきた遺跡が世界遺産であるというのも当然です。しかし、それがいまやトルコ領内になってしまっているのですから。でもこのあたりは古代からいろいろな民族が通過したりしたところだし栄えた国も紀元前3千年前をはるかにさかのぼる時代からあったに違いありません。最初に通過したわれわれホモサピエンスのご先祖が3万年まえとするなら、いまの考古学は、このあたりの時代の遺物をほとんど見いだしていません。8千年まえのものなら原型を止めた遺体などが遺跡から出ているのです。しかもすごい文明的なものと一緒に。そもそも同じあたりで見つかった30万年とか50万年まえのもっと前の人類(われわれの先祖ではない)の作った石器の精巧なことにも驚きます。30万年と8千年まえのあいだをつなぐものがまだないのだな、と思いました。
アフリカから出てきたわれわれの先祖は6万とか3万年前と言われているので、それを金科玉条にすれば、日本の遺跡なども詳しく見ればわれわれの先祖がこの列島に着いたのはいつ頃かいつか分かるかもしれない。しかも先住民族もいたのかもしれない。
いまのこのアルメニアとトルコの対立を聞いていると、6万年前からホモサピエンスは先住人類を殺しまくっていったのではないか、などと考えてしまうのです。このホモサピエンスには人殺しの残忍遺伝子があったから世界中に広まっていったのではないか、ネアンデルタール人を初めとする色んな先輩、近縁人類はみな心優しいので殺されてしまったのかなど、しょうがないことを考えてしまうのでした。
共和国広場で日本の若者に会いました。大聖堂でも見かけたのですが、日本人かどうかちょっと迷って声をかけませんでした。去年の五月から中国をスタートに延々旅行して、イランからこのアルメニアにたどり着いたとか。日本人はわたくしが初めてとか。好青年でしばらくお茶しました。まだこれから半年も旅行してヨーロッパ、米大陸を横断してから帰国するとか。人生に向かってやる気はすごくあるみたいですが、何をやるかそれも決まっていても、漠然とした不安でもあるのでしょうか、突き進めない。その感覚は正しいのでしょう。わたくしは、この青年に、どこかで君も自分に見切りをつけてどんどん前に向かっていったら、とアドバイスしました。見切りの意味は分かってもらったようでした。
いちばん安全と信じられていたニュージーランドで、日本人の語学留学生が建物の地震による倒壊で多数なくなったでないかというニュースはほんとに心痛みます。関係のかたがたにはきわめて残酷なニュースにちがいありません。いちばん安全というものがやはりこの世にはないということなのでしょう。このアルメニアも地震国です。
リビアの騒擾、人殺しカダフィ大佐といわれただけあって、傭兵とか空からのデモ隊への攻撃とか荒々しい支配者であることを見せつけています。BBCやNew York TImesも予想についてはお手上げ状態で静観状態です。たくさんの虐殺が続いているに違いありません。