帰国して最初に思ったことは、日本は住みよい国だなということでした。もちろん、これは日本人にとってという注釈が必要でしょうが。さらにこの場合の住み良さというのは、便利とか、安全とか、清潔とか、収入に対する物価とか、そういう物質的な面をかなり意味してるのです。もちろんマイナス面は沢山あるのですが、それはどの国でも同じです。町の作りが身障者にやさしくないのは日本の特徴ですが、でも宗教的偏見は非常にすくないはずです。このさいマイナス面を強調するのではなく、いい点を考えてみましょう。
外国人にだって、ある程度慣れたら、日本は相当に住みよい国のはずなのに、その住み良さはあまりというかほとんど海外に広まってないことですね。アリタリア航空の機内誌を読んだら、東京の紹介なのですが、まあよくぞこれだけネガティブなものを集めてと思うくらいひどい紹介でした。そういうイタリアはどうかというと、社会基盤的な投資はかなりひどく貧しい面がいろいろあるが、しかし庶民的には相当に暮らしやすいのではないか、ただかなりのバイタリティーがないとやっていけないように感じました。人間的な暖かみとか郷に入ったらかなりいける国でしょう。しかし、日本に対しては相当な偏見があり、なんとしてでも住みにくくてヘンな国とレッテルを貼って安心したい、そんな感じが日本を見る目にありそうな感じです。
しかし、これは総じてヨーロッパでは英国も含めて、日本は経済力はすごくあっても、生活は非常にしにくい国なのだ、という一般的な見解をもちたがっているようです。
日本人の普通の生活を見ていたら、かなり住みやすく生きていると言うことを見たがらないという面があるような気がします。
一方で総じて日本人もそう言うことには無頓着で、外国人に憐憫というとんでもない誤解の念で見られても、腹も立たないし、訂正をしようとする努力もほとんどしない。昼飯代でも、アパートや一戸建ての賃貸料でも、日本は確実に安い方になっているのに、なぜかいまだに日本は世界で一番物価が高い、毎日苦労であえいでいる、などというわけのわからない宣伝があまねく行き渡っているのです。
なぜでしょうか、この住み良さを日本人がいくらいってもわかってくれないのでしょうから、やはり日本に住んだ外国人によく言ってもらうのが一番いいのですが、どうもそれがあんまり起こらないのですね。不思議です。日本社会にとけ込むことが外国人にとって非常に難しいのではないでしょうか。やはり自分を無視されたり、仲間に入れてくれない国に対しては総じて外国人は反感を持つものです。
わたくしは、今回は日本のトイレがいかにハイテクになっているかというのを何回か言いました。けっこう若者が興味を持ってくれてましたね。実物見たかったら日本に来て、わたくしの家にいらっしゃいと言ってあります。
エキゾチックなものに引かれるといいますが、わたくしはアニメもポケモンも何も知らないので、日本のトイレが驚くほど発達してるとかいうことで彼等若者の庶民的興味をそそってみようとしているのですが、案外こんな冗談めいたことで彼等は日本に来るものかもしれません。沖縄で9月から働きだしたTPさんは沖縄空手を学ぶのがチェコからはるばる来た理由のひとつでもあります。
そう言う人達に、日本の細部にわたった住み心地の良さを発見して貰えたらな、と思います。
ところで、あるイタリア人で、日本に何度も来ている人が、日本の科学の成果は本当に素晴らしいのに、なぜ多くの日本のその優れた成果を挙げている科学者がはっきりと劣等感らしきものを表に出すのか、まったく不可解だということを言っていたのが強く印象に残りました。わたくしもその点はまったく同感です。
今回の旅行は日本の住み心地の良さの再認識の旅でもありました。年収300万とか言いますが、家もあり着る服もあるのなら、ヨーロッパのどこの普通の人達に勝るとも劣らない生活ができるのが今の日本なのでしょう。気さくな人と話した時にはかなり詳しく、収入とかアパート代とか食費とか聞いたものです。
やはりこの良さが世界に認知されてないこと、これが日本の一番の問題なのでしょう。
本当のところ、今の日本は戦後60年で物質的環境では一番生活しやすい時期なのではないでしょうか。しかし、心というか心のおきどころはどうなのでしょう。この国では。心のおきどころが分からなくなっている人たちが増えているのではないでしょうか。だから行く末は正直かなり心配ですが。