怒らない日本人、罪深い東京

この東日本大震災、怒る資格があるのは避難しているひとや激しい被害を受けたひとたちだけなのか、という雰囲気がまん延しています。
首相が避難所にきてさっさと出ようしたら、避難しているご夫婦がもう帰るんですか、と咎めて、もっと話を聞いて欲しい、わたくしたちの気持ちを分かってほしいと訴えてました。テレビ報道はなんのコメントもなくすみませんと謝る首相の声が画面から聞こえました。東電のトップにもあなたたち一度も福島で泊まったことないでしょう、と鋭く避難している人たちが問い質していました。一度でもいいからここに泊まってわたくしたちの気持ちをすこしでも分かって欲しい、それに対して無言なトップはもちろんのこととして、そうだそうだといわないマスコミが一番興味深い存在になってきました。
避難民が行政のトップや東電のトップに直接いうまではそういうセリフをいうマスコミの存在がまったくないのですね。怒ることを忘れたテレビ大新聞マスコミの存在、これが大震災後一ヶ月半で見えてきた構図です。本来国民の先頭で怒るはずのものたちがうしろのほうで静かにしている、そういうことです。

なぜそうなのか、わたくしは不思議でたまらないのですが、でもだんだん分かってきたことがあります。今回の大震災を非常に複雑にしかつ行政の対応が後手後手になっている理由は福島原発の破壊に対する対応であることはまちがいありません。これがなければ今ごろは熱気のこもった復興策が連日語られていたはずです。津波で破壊されたところにもう一度町をつくっていいのか、どうか本来なら住民を主体に詳細にわたって熱心に語られていたはずです。それを台無しにしているのが福島原発の問題で、しかもこちらも現在進行中の問題で楽観は出来ないのです。
さらに余震というのか、関連地震というのかプレート間の相互作用が非常に活発になり直近の未来から10年20年の未来にわたって現在の首都圏は地震的にたいへん危ないのではないかという危惧の念が拡がりつつあるのです。
日本の富の半分以上を注入している首都圏が破壊されるということはあってはならないと願望しても自然の脅威は願望とは独立におこるので、しかも地震予知などは素人も玄人もあまり差がないので、経験的にこの数十年の体験からいえば首都圏で今回のと同程度の地震が起きてもなんら不思議はないと思う人が増えてきた、心の底で浮き足立って来た人たちが多くなってきたのではないでしょうか。
まさに首都機能をあちらこちらに移す必要性を多くの人々は感じだしているに違いありません。

今回の大震災は、過疎地に大量に作った原発が電気を東京に送って、地方がエネルギー供与で東京に奉仕した構図で、その原発が東京でなく福島の人々に災厄をもたらしている。これが根本的な構図であるために、東京の民は福島の民のようには怒れない、そして東京の民は東京に住む事自体に罪深さを感じざるをえない、東京に住んで便利さを享受するその根本構図が露骨にみえてきた。そのためにこの問題を解決するための策を大声で論じたり、場合によっては政府を批判したくても根本がどこにあるのか見えなくなっている、そう思います。関西でも若狭に多数の原発を作っていますから、根本的には同じ構図です。この構図をほったらしておいて抜本的な議論ができるのでしょうか。

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