振り子のはなし

海外にしばらくいると、頭の働きが英語的になります。今回は随分むこうの人たちと沢山しゃべったので、頭の中が英語的になりました。また短期間とはいえ17日間もあったので、それなりに向こう側的な頭の中で帰ってきました。
振り子のアナロジーとしては、かなりいっぱいに向こう側に振れたのでしょう。その反動というか、帰ってきてからかなりいろいろな面でこっち側的に強く感じることがありました。この間のブログもそのあたりの振り子的感情が出ていると思います。
減衰して元通りになるのにすこし時間がかかるのでしょう。
もともとわたくしは自分の意見を強く出すので、外国ではほとんど違和感がないのですが、やはり日本ではあまり突出するのはいけないという気持ちが働きます。若い頃はそうでなかったので、いろいろ軋轢がありました。その頃は振り子にならずに向こうにいきっぱなしで、減衰もなかなか起きなかったので、外国人モードがかなり続いたものです。わたくしの言動に怒ったり激しく反撥した人たちがいたことにはもちろん気がついていました。ただ、あまり気にしないというか、むしろますます激しく言うという日本的にはかなり悪い部分がありました。自分では、アウトサイダーとうそぶいてましたが、ある意味で外国人で、振り子なしの人間だったのでしょう。いつの頃より、海外で食うめしがまずく感じてから振り子的になったような気がします。

振り子のはなしは、過ぎたるは及ばざるごとし、に似ていてある方向に行きすぎるとかならず、その反動があるとも言えます。
ある学説が一世を風靡すると、もしもその学説に傷が出てくるとその反動も激しい、そういうことですね。わたくしは、この学説にはもともと風靡まったくされてなかったので、この件についてはまったく振り子なしでした。
今回はそういうことも感じました。

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